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弁当をわし掴み_2024年3月10日

近くのお昼どきのスーパーに行ったときの話ですが。
レジ前の広いコーナーに、なかなかおいしい惣菜が並んでいて。
そこの人だかりのなかに、なにか工事をする人かな、
紺色作業服を着たの仕事中の男性がやってきた。
お弁当を買いにきたのでしょう、
買い物カゴを下げてコーナーをぶらぶらしている。
そして、心を決めて「エイッ」と、特選弁当をふたつ、
重ねたまま右手でわし掴みして、カゴに入れた。
だけど、ね、その彼の顔がどこかオドオドして見えたのだ。
で、さらに、もうみっつ、
なんとなく気弱にほかのイカフライ弁当を掴んで、彼はカゴに入れる。
さらに、さらに、これまた気弱に、鮭ほぐし弁当にも視線を伸ばす。
会社の人たちにお使いを頼まれたのだろうか、
彼が、ふたつも、みっつも、何度も弁当を掴むたびに、
お惣菜コーナーの弁当の品揃えが消えていくのである。
なんだか、こちらが見てはいけないものを見てしまった気がした。
それにしても、いったい彼は、何に怖気づいていたのだろうか。
あの弁当を食べたかったわたしとしては、とても気になっている。

弁当を掴むといえば。
スーパーにいるとき、人はよく手を使っているみたいだ。
「見る」よりも、「手」で商品を選んでいる。
だって、
ジャガイモの袋は、手にとってイモの大きさやかたちを確かめる。
気に入ったのが出てくるまで選り好みをくり返す。
キャベツだって、手で重さを測ったり、
(ほんとうはよくわからないのにね!)
キュウリのかたちはどうかとか、
モヤシの消費期限はいつかとか、
バナナやモモに痛みはないかとか、
必ずといっていいほど手にとってみる。
昔は、スイカをコンコン叩いて選んでいたったけ。
これだって、音を聞いてわかるわけではないけど、
それでもなんだか手で触りたいのだ。
肉のパックはどうだろう。
みたところで良し悪しなんか正直わからないけれど、
肉片の収まり具合なんかをとにかく見たいから
パックを手にとったりしていないだろうか
(わたしはしている)。
鮮魚も刺身もタラコも同じ。
もしかしたら、いちばん手にとるのはパンと牛乳かもしれない。
いつだったか、
「消費期限が先のものを選ぶのは常識だと親から教わった」
という人がいたもの。

よく、いちど手にとったものを元にもどすときに、
放り投げて返す人がいる。
そういう人はたいてい、カゴに入れるときも投げ込んだりする。
無意識に調子をとっているのだろうけど、
これは見ていてあまり気持ちのいいものではないな。

犬が鼻でものを選り分けるように、
鳥が口ばしで泥のなかの虫を探し出すように、
人は「手」で感じ考えて好みの商品を選ぶ。
考えたら、ウィルスが流行ったときは、
わたしたちは消毒しながらも「手で触れて」買い物してきたんだよね。
「見たり」「読んだり」「聞いたり話したり」しながら、
「手で触って」あれこれ選べるのがいいんだ。買い物ってやつは。

ネットショッピングも嫌いじゃないけどね。



よんでくださった方、ありがとうございます! スキをくださった方、その勇気に拍手します! できごとがわたしの生活に入ってきてどうなったか、 そういう読みものをつくります! すこしでも「じぶんと同じだな」と 思ってくださる人がいるといいなと思っています。