見出し画像

写真の腕組み_2024年3月11月/快晴

よく人物のブロフィール写真に、腕を組んで写っているポーズがある。
どうだろう、
「腕利きシェフ」とか「クリエイター」「スポーツ選手」「経営者」とか、
「卓越した職人」のような人が、たいてい両腕を組んで笑っていたりする。
あの、「腕組み」は、なんなのだろうか。
見ているほうは、普通の人とは思わないだろう。
その人が「腕を組んで」みせることで、
すばらしい技術と信頼や力強さを伝えるというのは、
わかりやいやり方のようにも思う。
大工の棟梁が腕組みして笑うイメージは、誰の心にもあるものだ。
ただ、「腕を組む」というのは心を閉ざすしぐさでもあるから、
見る人との間に対立は生まれてくる。
ポーズとしてもっと好感がもてるものに、「自然に手をおろす」がある。
いままで腕組みしてきた人は、
その手を解いてみるといいんじゃないだろうか。
比べるのも変だけど、
プロレスラーは腕組みするが、お相撲さんは両手を下げて写真におさまる。

なにかのチームを紹介するときに、
「全員が違うポーズ」をとることもある。
成功を収めたプロジェクトチームの、
映画オーシャンズ11のような集合写真。
個性的なスペシャリストが集まった風のやつ、とかね。
これは、ほかとは違うというがんばりが、
結局どこも同じように見せてしまっているかな。
またいい例が思いつかなくて悪いけど、
犬の集合写真を見ていておもしろいのは、
彼らは、じぶんがほかと違うとは思っていない。
そんなことより、「いいこと」を期待してるカメラ目線だから、
こちらとしても犬の「人柄」を感じてしまうことになる。

「腕組み」も「全員が違うポーズ」も、
しなきゃいけないものではない、ただの演出だ。
あえて言うとすると、どちらかというと
見る側というより、写真を撮る側が満足するための演出かもしれない。
むろん、普通の人がまねることもできるし、
演出でパロディーを作って笑い合うこともできる。

もう、演出でもなんでもなく。
写真に撮られるときに、反射的に「お決まりのポーズ」をとる人も多い。
時代、時代で変わっていく「お決まりポーズ」を、
どれだけたくさん、長く、わたしたちはやり続けてきたのだろう。
いまでは知らない人も多いと思うけど、
携帯電話で写真が撮れるようになるまえ、
1枚何十円かをかけて写真を紙に焼いていた時代でも、
みんな、ピースやらなんやらポーズをつけていた。
そういえば、最近のプロ野球選手の顔写真は「最高の笑顔」ばかりだ。
大リーグのまねだと思うけれど、
これだって球団から指定された「お決まりのポーズ」だろう。
ただ写真に撮られるって、
いつまでたっても慣れないし、気恥ずかしいものなんだろうね。
だからポーズでヨロイを着てしまう。
ポーズの奥にあるはずの心が、写真で見えなくなっている。
ちょっと、「ハイ、チーズ」っていうかけ声、やめてみません?

雑誌のモデルさんは、止まらずに動いて写真を撮るから自然に見えるんだ。




よんでくださった方、ありがとうございます! スキをくださった方、その勇気に拍手します! できごとがわたしの生活に入ってきてどうなったか、 そういう読みものをつくります! すこしでも「じぶんと同じだな」と 思ってくださる人がいるといいなと思っています。