AIの時代(かな)_2024年2月29木/雨
いま、なにかと「生成AI」がブームだけど、
「生成AI」のある生活が、どんなふうに便利だったり、
おもしろかったり辛かったりするのか、
そういうことを、はっきり語れる人はどれくらいいるんだろう。
わたしだって、「生成AI」がどんなものか知っているし、使ったりもする。
はじめて「生成AI」で画像を作ったときは
「お、出た出た」なんて喜んでたけど、
やっぱりね、まだ稚拙なできばえだもの、
このごろは「まぁこんなものかなぁ」と冷めることもよくある。
なんだろう、とてもすばらしいものを「生成AI」に求めてるみたいだ。
「生成AI」と人のつきあいって、まだまだこれからなんだよね。
よく番組で「生成AIとは」を語るときに、ChatGPTなんかを例にだして、
「じぶんの代わりに考えてくれるもの」ということがある。
パーソナリティーが、
「ということは、人が考えるよりすごいのですか」とか、
「では、どこまで賢くなるんでしょうか」とか、
合いの手を入れることもある。
「人より賢いもの」は、その賢さから人を支配するかもしれない、
という淡いキューフが世の中に漂ってはいる。
だけど、「人より賢いもの」の正体は「思考の電卓」なんだよね。
電卓の答えを便利に使えばいいし、電源コードを抜けば動かないのだ。
いまできるだいじなことは、
とにかく「思考電卓」を使ってみて、どんなつきあいがいいか
みんなで試行錯誤することなんじゃないかなぁ。
考えたら、産業革命時代から
機械生産のモノばかり増え続けたけど、
ハンドメイドもちゃんと愛され残っているんだよね。
大量生産のファッションが好きな人がいる。
子どもの寸法を測って、セーターを編むおかあさんがいる。
機械生産もハンドメイドも、時と場合でどちらも使い分けている。
「思考電卓」も同じではないかなぁ。
「生成AI」とのつきあいがどうなっていくかは、
そのときのわたしたちが決めることなのだ。
じぶんの考えに自信をもち、胸をはって生きられるような時代がいいね。
よんでくださった方、ありがとうございます! スキをくださった方、その勇気に拍手します! できごとがわたしの生活に入ってきてどうなったか、 そういう読みものをつくります! すこしでも「じぶんと同じだな」と 思ってくださる人がいるといいなと思っています。