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キャリアチェンジを決めるまでの3要素

会社員からのキャリアチェンジ
人生100年時代の今、選択肢は増えていても本当に方向転換出来る人がそう多くないのも現実。実際に実行するに当たってどのような過程を経ることになるのでしょうか。
私の場合、行動の先に出会いと決断がありました。

①現状に対する不満

金融関係の会社で勤めていた私は法人営業に就いていたのですが、決まったサービス(商品)を提案することしか出来ないもどかしさを感じていました。もっと自分に出来ることはないのか。振り返ってみると真面目なのです。そして今も真面目な性格です笑。

②視野を広げる行動をしてみる

知見を広げたいと思い、以前から興味のあったマーケティングを学ぶことを目的に社会人大学院に入学することを決めました。入学したのは日本大学大学院商学研究科商学専攻博士前期課程。当時新宿野村ビルの高層階にサテライトオフィスがあり、会社帰りに通うことが出来たのです。

社会人大学院の同級生は20代から60代、職業も医師・コンサルタント・印刷業など。年齢も業種も違う人たちと出会い学ぶことができたことは刺激的で希望通り視野を広げる経験が出来ました。

そもそもマーケティングに興味を持ったのは社会人になって初めてハワイに行き、高級ブランド店を覗いて歩いたことがきっかけでした。ブランド物のロゴに皆が惹きつけられ、これだけ高額な商品が飛ぶように売れているのはなぜなのか。モノの価値とは?消費者の購買行動の要因とは?といったことに興味をもつようになりました。営業渉外をしていたこともあって、仕事にもプライベートにも研究が役立ちましたし研究すること自体が楽しかったです。

このように商学研究科商学専攻という専攻科目の中でマーケティングに特化して学んでいたのですが、おとなりの会計学専攻は税理士業務やファイナンス関係の職業に就いている人が在籍していました。

その中で出会った最年長の同級生が山田さん。お兄様が経営される会計事務所で長年お仕事をされていた方で税理士業務のことをたくさん教えてくれたのです。

山田さんは大学院で修士号のほか、税理士資格を取得しました。大学院入学時に既に60歳であったと記憶しています。
大ベテランでその年齢もあったのかもしれませんが肩の力が抜けていて気さくで明るく朗らかで、自身の仕事のことを楽しそうに語ってくれました。

私は身近な親族に士業がいるため、馴染みのある業種ではあったのですが、それまでずっと税理士業務は堅苦しいイメージでした。
ですが数字をもとに経営者へのアドバイスを行えることにやりがいを感じていること、時間に縛られずにご夫婦で海外旅行などにも行かれている様子で仕事と生活を心から楽しんでいました。

そんな姿を見て、また大学院で様々な業種で活躍されているその他の社会人の先輩であり仲間を見て、キャリアチェンジを考えるようになりました。

③決断する

実は会計専攻に在籍して修士論文を書くと税理士試験における税法科目の2科目が免除されるという制度があるのですが、私はそもそもそのような目的で大学院に入学したわけではありませんでした。
そのため自分の研究内容であったブランドマーケティングの修士論文を執筆しながら税理士試験の受験をすることになり、この時点で会社を退職しました。

仕事のキャリアについて、悩んではいたものの会社員であったときはその会社の中でのキャリアのことしか考えていませんでした。それが別の場所に出てみたことで世界が広がり、それまでの経験との掛け合わせで新たな可能性を検討することが出来たのです。

そして決断。決めて断つ。退路を断って真剣に取り組む。

人との出会いが重要

ここまでの過程で大きなポイントだったことは、現在いる場所から飛び出した先での人との出会いだったと思います。私の場合、山田さんとの出会いは大きなきっかけでした。一見遠回りの用でも興味があったことに飛び込んでみることも大切なのだと思います。

そして山田さんについては補足があります。

5科目合格までは長く、不安もありましたが山田さんは「税理士は本当にいい仕事だから!」と大学院在学中からその後受験予備校に通い詰めて合格するまで常に応援してくれました。
受験中にくすぶっている時も大学院仲間と共に食事をご馳走になったこともありました。

いつも「大丈夫だよ!何とかなるよ!合格するよ。大丈夫」と明るく励ましてくれました。
合格したときには万年筆をプレゼントしてくださり、
合格後、私が税理士法人に就職した後も交流は続き、結婚式ではスピーチをしていただきました。

再就職と結婚・出産の傍ら仕事を続け、受験中とは打って変わって目まぐるしい生活をしていましたがやっと税理士とはどんなものかを理解してきたかなと思っていた時に、体調が思わしくないと聞き、お会いできないままにお亡くなりになってしまいました。


そろそろ恩返しが出来るかなと思っていたところに突然の訃報で言葉が出ませんでした。まだ70歳台になったばかり。信じられない気持ちでいっぱいでした。

今でもおおらかな笑顔を忘れないですし、ふと悩んだ時に、山田さんなら「そんなの大丈夫だよ」「やってみたらいいんだよ」と笑顔で言っている声が聞こえるような気がして、涙が出そうになるときがあります。

そんな山田さんは生前にこのようなことを話していました。
「年を取るとなかなか純粋な友達というものは出来ない。大学院に入学して若い友人達が出来て嬉しかった。僕は自分が死んでからも、自分のことを話題にしてもらえたらいいなと思っている」と。

山田先生、ありがとうございました。
また天国でたくさんお話をしながら食事をご一緒しましょう。

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