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フミサン: 電気屋さんのこと

「家電量販店」という言葉を聞くたび、おいしいチャーハンのある中華料理店を一瞬想像する。それから「飯店」でないことに気付いて、そうか「量販」か、とやや灰色な心になる。それから、そのカクカクとして無機質に並んだ漢字五文字の上に「で ん き や さん」とルビを振ってみる。家電量販店Yの店員さんに質問する時も私は「電気屋のお兄ちゃん」に質問しているのであり、「店員A」に話しかけているのではない。家電品は電気屋さんで買う。電気屋さんって、なんて素敵な言葉なんだろう。

フミさんは家電品をよく買う。ハイカラなことが好きな明治の女だからそうなのか、それとも電気屋のお兄ちゃんがお気に入りだったからなのか。たぶんどちらも正解。フミさんは新しい家電品が大好きで、電気やのお兄ちゃんも大好きだった。

その頃、街には「家電量販店」なんてものはなくて、20分くらい歩いたところに小さな「電気屋さん」が一件あった。とはいえ、お店にでかけて買い物をすることは稀で、電話すると電気屋のお兄ちゃんが電球でも電池でも持ってきてくれた。もともとは店主である「電気屋のおじさん」がうちの担当だったのだけれど、ある日、新しく働きはじめた若いお兄ちゃんがうちの担当となった。色が白くて肌がお餅のように柔らかそうで、恥ずかしそうに笑うと頬が赤く染まるお兄さんは、一体何歳くらいだったのだろう。専門学校を出てすぐ仕事を始めたのだったら、二十歳そこそこだったのかもしれない。初々しいという言葉がピッタリの、朴訥で、でも笑い顔が可愛くて、案外ノリもいい「電気屋のお兄ちゃん」は一発でフミさんのお気に入りとなったのである。

学校から帰ると、お茶の間から笑い声が聞こえる。電気屋のお兄ちゃんがフミさんに捕まっている。電球一つを持ってきて捕まっていることもあり、新製品のカセットデッキを持ってきて捕まっていることもある。いわゆる「御用聞き」という仕事だが、お兄ちゃんもそれほど嫌そうでもなくて、お菓子や漬物を食べてお茶を飲み、フミさんの相手になっておしゃべりをしては帰っていく。どこで油を売ってたんだ、と店主に叱られそうだけれど、フミさんは最初はテープレコーダー、それからラジオもついたカセットデッキ、ご飯の保温機や電気ポットはもちろん、オーブントースター、遂には「わたあめ製造機」までも買ったお得意さんだったので、お兄ちゃんのセールスは高く評価されていたのかもしれない。詳しいことは忘れてしまったけれど、お兄ちゃんはどこか別の街から来た人で、寂しさもあったのかフミさんのことを「おばあちゃん、おばあちゃん」と呼んで親しんでいて、そのはにかんだような人懐こい笑顔にセールスの打算はなかったように思う。

ある時には、先週買った「ジューサーミキサー」を使ってみたけれど、どうもよくないわね、と返品しようとするフミさんに、お兄ちゃんはさすがに勘弁してください、と苦笑いしながら困っていたけれど。キャベツを絞ったけれどあまりジュースが出なかったというのがフミさんの言い分だった。たしか、それも目出たく返品となったような。強引だなあ。

ある日、お兄ちゃんが帰った後で、フミさんがこう言った。

「電気屋のXXさん、あんなかわいい子と恋愛したいなあって、言っていたよ」

「あんなかわいい子」というのは、何を隠そう当時まだ中学生くらいだった私のことである。それから、お兄ちゃんがやってくると私は扉の陰に隠れて様子を伺い、なるべく会わないように工夫した。フミさんは半ば本気だったんじゃないかな。それくらい電気屋のお兄ちゃんはお気に入りだったわけ。私はその後も襖の陰から障子の裏、階段の中途などを忍者の如く渡り歩き、お兄ちゃんと顔を合わせないように努力したので、電気屋さんのお嫁さんになることはなかった。お兄ちゃんが嫌いだったわけじゃなくて、「恋愛する = Do RENAI」という動詞がフミさんの口から
大正浪漫の空気を纏わせてぽおっと桜色に立ち上がる状況など、あまりに全てが突然生々しく、果てしなく恥ずかしかった。

さあ、割り箸を用意して。スイッチを入れるとブーンと大きな音がして炉が高速回転をしはじめる。その真ん中の穴にスプーンでざらめを入れる。するとバチバチバチっと弾ける音がして、雲が生まれる。それを急いで割り箸に絡め取る。何度かお箸をぐるぐると回していると小さな綿飴ができる。炉の周りには雲を受け止めるための赤いプラスチックの円盤形の枠がついているのだけれど、砕けたざらめは必ずその枠から飛び出して、部屋中にキラキラした雲母の欠片のようなものが浮かんだものだ。タンスも畳も砂糖の欠片でベタベタになる。うちに「わたあめ製造機」があるというのは、なかなかに誇らしかった。そして、一番新しい電化製品のスイッチを入れるのは、いつでもフミさんだった。誇らしそうに、嬉しくてたまらない笑みを浮かべて、スプーンで次のざらめをすくっている。マニュアルなんてちっとも読まない。まずはスイッチを入れてから。
明治の女はほんとに電気製品が大好きだった。それはモダンで洒落ててなんでも叶う、虹色の魔法の装置、明るい未来そのものだったのだから。

スマホが発売されたら、きっとフミさんは買っただろう。そしてマニュアルなんて読まずに、お兄ちゃんにささっと使い方を習うと、料理の途中の濡れた手で画面を操作して私に電話してくるだろう。もちろんビデオ通話だ。そして、面白いねえ、見えるねえ、なんて言いながら、必ず「ちゃんと食べてるの?」と聞くに違いない。


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