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3年で、ようやく乗り越えられる気がしてきた

人は3年ぐらいあればだいたいのことは乗り越えられる。

そう思うようになったのは、紛れもなく今の私が肌で実感しているからだ。

たとえ長い期間、間違ったことばかりに邁進してしまい、挫折して多くのことを失ってしまったとしても、「どうにかしたい」とさえ強く考えていれば、案外なんとかなるものだ。

つい先日、3年の結婚記念日を迎えた時に、私は毎年と同じシャンパンを飲みながら、目の前の夫の顔をみて、そんなことを考えていた。

今は、あの3年前の自分に声をかけてあげたい。

「大丈夫、今は前よりずっと楽しいよ。」


私は3年前の今頃、いくつかの挫折や喪失を経験し、30代後半になった昨年、自分自身のこれまでの生き方を大幅に見直した。仕事を全て辞めて、生活の多くをガラリと変えたのだ。

これについての詳しい内容は、たびたびエッセイで書いてきたが、ちょうど半年前の下の記事にわりとそれらの詳しいことを書いていた。


1年経っても2年経っても、寝ても覚めても、自分の経験した挫折を忘れられず、どうすることもできずに悩んできた私であったが、ちょうど3年がたった今はもうあまり細かいことを思い出すことがなくなっている。

わりと楽しい毎日だ、と自然と心から思えるようになっているのだ。

状況は別に何も変わっていないはずなのに、とても不思議だ。


「時は薬」というが、本当にそうなのだと思う。


今年に入ってずっと、良作の映画作品をたくさん観ていることや、今年の春からスタートした自分自身の映画のPodcast番組で2度のコラボをして、大好きな映画について語り合ったりしたことも、私にとってはとても大きい出来事だった。

さらに聴いてもらった感想を、フィードバックしてもらえることも、心からありがたいと感じている。

Podcastでは、思いがけず自分の内面をかなり曝け出してしまってもいる。だからこそ、より嬉しいのかもしれない。

これが特別何かになる見込みはないし、誰からも頼まれてもいないけれど、これだけはきちんと定期的な配信を続けていきたいな、と今は思っている。


今、これまで来た道を振り返ってみると、私に必要だったものは、かつては欲しいと願っていた社会的地位だとか、仕事での成功だとかとは関係ない世界だったということが分かる。


「そろそろ過去を乗り越えられるかもしれない」という光がようやく見えてきたのは、別のことでの成功でも、新たな生きる道などでもなく、間違いなく「映画」という自分にとって最も大切な時間があったからだと確信している。

かつては、成功に囚われすぎて、大好きだったはずの映画や創作物を全く楽しめなくなっていたからこそ、である。

だからと言って、私が必死に何かを掴み取りたいと願い生きていた10数年間のあの日々が全く消えてなくなったわけでもない。紆余曲折あっても諦めずに頑張っていた過去の自分もまた、今はむしろ誇らしく感じているのだ。


きっと私の3年後は、また今とは全く違うところにいて、全く違うことを考えているだろう。 


私のことだから、また間違った方に昔と同じように全速力することだって、あるかもしれない。

でも、別にそれだっていいじゃないか。

今の私は結構、この人生を気に入っているのだから。

2022.7.31の日記

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