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春の涙とホットコーヒー

コーヒーの香りは穏やかで、外の空気は甘いのに、私の気分は苦かった。

適応能力だけはあった若き頃の私はそれなりに反抗心を燃やしながらも、この窮屈な社会には溶け込む事ができた。
それでも30歳を迎える頃にはあらゆることに疲れ切ってしまっていた。知らないうちに自分自身も見失ってしまい体調を壊してしまったこともある。

そんなことだって私にとってはもう遠い昔のことである。過去の自分はいつも外国の旅で捨ててきたつもりだった。いや、だから私は外国に旅に行っていた。旅先には過去の感情を全て置いてくる事ができると思っていたし、実際においてこれたような気がしていた。だからニューヨークにも香港にもロンドンにもパリにも、たった一人で行ったのだ。

久しぶりにひとりでに涙が込み上げた。
トイレの個室でひとりになった瞬間に私は声を殺して泣いた。

別に自分が泣いていようが笑っていようがそんなのは世界の誰ひとり気にすることではないのかもしれない。でもたった1人で涙が出てくるその瞬間は、唯一世界の中心が自分のものだと感じるような気がしてなりふり構わず泣いた。私は何を言っているんだろう。

悲しいはずでもやっぱりお腹は空いたので食堂に行って今日のランチメニューというのを機械的に頼んで食べた。
チキン南蛮だったかチキンカツだったのか分からないまま、最後は無理やり冷たいお茶で喉に流し込んだ。それでも私は現金なもので最後に食べたポテトサラダはとても美味しくてじっくりと味わっていた。


13階にある食堂の、窓の外の遠くの方には海が見えた。晴れの日には富士山が見えることもある。
外はこんなに晴れているのに、春はもうすぐなのに、泣いている自分がなんだか少しおかしくなってくる。

出勤途中で買ったコーヒーはもうすっかり冷めてしまっていた。まだ8割ぐらい残っていたけれど私は何も考えずにそれを捨てて外に出た。

冷たい空気が頬を撫でていたけれど、マスクの中にもやっぱり春の匂いが舞い込んできていた。

「そいつは何もわかってないよ。だって、Fumiの1番おかしくて変人ところってそんなとこじゃないもん。もっとおかしいところ他にあるもん。」

思わず連絡した唯一心を許せる友人からすぐにメッセージが届いていた。

私の1番おかしいところってなんだろう。励ましているんだかなんなんだかわからない友人の軽さに拍子抜けして思わず一人で小さい声で笑ってしまった。

何も気にしていないふりをするのがうますぎて、「この人なら何を言ってもいい」と私は思われがちだ。でも、言う側になるぐらいなら言われる側のほうがまだマシなのかもしれない。


近くのコーヒースタンドで私は温かくて新しくて出来立てのコーヒーを並々と注いでもらった。

飲み口に口を当てたら思っていたより勢いよく出てきたそれは熱くて痛くて今度は別の涙が流れてきそうだった。

この心のヒリヒリとした感覚は、私の胸のもっと奥の深くて熱いところを震わせてくれているのかもしれない。
久しぶりのこの感じは、そんなに悪くないような気もしていた。

今日の夜は、先日近江屋洋菓子店で買ったバウムクーヘンを夫と一緒に食べよう。
美味しくて甘くて優しいケーキには、あたたかなコーヒーがやっぱり欲しい。


夕飯はツナとひよこ豆とレモンのペンネを作ると決めているから、チーズも買って帰らなきゃ。


写真は、レーズンサンド。これはすぐに食べちゃったから、もうない。


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