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【2022.2.17の日記】暇なんかないわ、大切なことをするのに忙しくて

自分の生活やこれまでやってきたことに対して色々と区切りをつける必要があると感じたのはちょうど去年の今頃のことだった。

私は、大学卒業後から途切れなく、約14年間ほど近くフルタイムで何よりも上昇思考を持って働き続けてきた。(転職は何度かしているがこれまでほぼ途切れはなかったのだ。)学生の頃から、「自分は自分で人生を勝ち取るのだ」と思って生きてきた。人と同じでなくてもいいから、自分で納得のいく仕事をして自立し、「こんな人でありたい」という理想的な生き方をするのだと強く信じてきた。体を壊して仕事を辞めた時があっても、なおった暁にはその期間を取り戻そうと人の倍以上努力していたこともある。昇進試験のために猛勉強してTOEICで900点をとったりもした。何度かこれも書いたこともあるが、起業をしたこともる。それがうまくいかなくなってもやっぱり諦めることなく、自分のできる最良の選択をしてきたと(自分では)感じている。

だが、2021年の初め頃のある日、そういうものを辞めてしまった。

出産や引っ越しなどのライフイベント的なものでも、会社の倒産等の外的な変化があったわけでも体調を壊したわけでもない。

ただ、「このまま続けてしまったら、私はまずいことになる。今方向を変えなければならない。」と、根拠もなく、ただ強くそう思ったからだ。

当時の仕事の給料や待遇には不満はなかったが、自分の仕事や生活自体は全然満足行くようにいっていなかったような気はしている。
そのまま続けて行こうと思えばできたのかもしれなかったが、ずっと何か余計なものが過剰になっていて、本当に欲しい何かが枯渇している感じがしていた。
具体的に何かはわからなかったのだが、とにかく「違和感」がつきまとっていた。だから、今足をとめなければならない、と本能的に感じたのだ。

以前にもnoteに何度かそのころの日記を投稿したことがある。

仕事を全てやめて休み始めた頃は、かつて好きだった映画や読書に没頭できる毎日に心からの幸せを感じていた。
自分がこれまでいかに「自分自身を殺して」生きてしまっていたことに気がつかされもした。社会人であるから当たり前といえばそうだ。だが、自分が大好きだった映画や読書などを楽しむことができないぐらい、「自己実現」だとか「成功者」になるだとかいうことに脳が囚われていたのは正常な状態では決してなかったのだと感じた。
久しぶりに、自分を取り戻せたような気がしていたのだ。

休みはじめてから大体3ヶ月経ってようやくのことだったように思う。

さらに、社会との関わりをある程度断絶したことにより、自分が好きなものや嫌いなものを、これまではっきりと明言できなくなっていたことにも気がついてもいた。嫌いな人がいても「あの人もいいところはあるとは思うんだけど、」という枕詞なしに「嫌い」だとはいえなかった。今は、「あの人は嫌いだし、私には合わないわ。」と口に出しても何にも罪悪感がない。(一般的にそれは良いか悪いかはわからないけれど、ただのお人好しのせいで時に損してきた私にとってはとても良いことなのだ。自分のことを大切に考えている証拠なのだから。)

だが、振り返って1年も経ってみると、そう思っていたことさえが大昔のことのように感じる。
気がつけば今は、映画を観る毎日が当たり前になっているし、本は必ず数冊バッグの中に入っていていて、眠る前にベッドで数ページ読むことが日課となっている。好きなものは好きだし、嫌いなものは何も考えずに遠ざけるようにもなっていた。

そういえば、休みはじめて数ヶ月がたった頃、ある友人に久しぶりに会った。

その友人というのはアメリカで数年間フォトグラファーとして仕事をし、書店に置いてある有名雑誌の表紙の写真を撮るほどに活躍していた。ちょうどパンデミックを機に帰国してから時々連絡を取り合う仲だ。何年も会っていなかった彼女が私に連絡をくれた理由は、きっと風の噂で、私が何かしらいつも仕事に邁進しているであることを聞いていたからだと私はわかっていた。だから彼女と会った時に、「今は会社はやめてしまったけど、時々自分個人の事業の範囲で仕事をうけることはあるよ」などと答えていた。本当は全然そんなものやっていなかった。ただのプライドだったのだ。

今日、私はその友人に紹介をされた美容室へ行った。彼女もまた若くして自身のサロンをオープンし多方面で活躍している素敵な方だった。

「今は、何のお仕事されているんですか?」

私は唐突にこう答えていた。


「今ですか?仕事は何にもしていませんよ。」

ついにこう答えることができるようになっていた。相手がどう感じたかはわからないが、何となく肩の荷が全部降りたような気がした。


私は、ずっと「何かしていないといけない」と思っていたのだ。

でも今は、このまっさらな状態の自分を結構気に入っている。だからと言って、私が必死に生きていた10数年間のあの日々が全く消えてなくなったわけではない。紆余曲折あっても諦めずに頑張っていた過去の自分もまた、今は誇らしく感じている。それに、金銭を生み出す仕事的なものをしていないからといって、私が「何もしていない」わけではないのだ。

ただただ、「今の私はこうやって生きている」というだけのことだ。これからまた、どんな風に自分の人生の風向きが変わるのだろうかと思うと、むしろ前よりももっとワクワクしている。心の奥ではずっと、またなにかはじめたいと思えるようにもなってきた。

ああ、でも早く以前のように、たった1人で外国に旅に出たい。あてもなく街を歩いて、道行く人を眺めながらコーヒーを飲んだり、町の本屋に入ったり。そういうことが何よりもしたいのにな。

※メイン写真は、2017年に旅したアメリカ、ポートランドのお気に入りの本屋「Powell’s Books」の店内。

私の好きなエッセイ本のタイトル

「暇なんかないわ大切なことを考えることに忙しくて」 
アーシュラ・K.ル=グウィン

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2022.2.17の日記


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