見出し画像

なんでもない幸福な日の記憶

ふとした時に蘇る幸福な記憶がいくつかある。小学校6年生になったばかりの4月のよく晴れた日、中耳炎で学校をやすみ1人ベッドの中で外国の料理番組と外国の画家の絵画番組を夢中になって観た一日。その眠れない夜、リビングに降りて観たテレビドラマのロング・バケーション。大学受験のため母と上京して3泊した兄の池袋のワンルームの狭くて魅力的な都会の部屋。夜に3人で小さなテーブルの上で食べたデパ地下の惣菜を中心とした母の手料理。2月の寒空の中で西池袋から歩いて受験大学のある目白駅まで向かった途中の狭い路地、すれ違った絵の具で汚れた美術学生。初めての南北線、朝の満員電車、想像と少し違った白金台の街並み。
12歳と18歳という年齢で経験したほんの数日間、不安と孤独感の中にみた憧れと希望を含んだこれらの記憶の1日を、今でもなぜか鮮明に覚えている。

通り過ぎてしまうまで、それがどれほど美しい日だったのか気がつくことができないが、できるだけ思い出した際にはこうやって殴り書きでも良いから言葉として残しておきたい。
今日はそのようなことを、ふと思ったのでこちらに記した。

2022.2.1の日記。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?