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エヴァと私と、24年

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を鑑賞した。20年以上にも及ぶエヴァの物語がようやく終わったのだと胸をなでおろしたような心持ちで映画館を後にした。とは言っても、私は「浅いタイプのエヴァ視聴者」だと自覚している。なので、自分とエヴァの思い出でも書いておこうと思う。


そういえば、あの人もこの映画を観たのだろうか。
きっと観ているだろう。


※この記事にネタバレは一切ない。


初めてエヴァに出会ったのは、1997年、まだ中学1年のころだったかと思う。兄が録画していた深夜再放送中のTV版新世紀エヴァンゲリオンをたまたま観たのがきっかけだ。私は父親の影響で、小学校高学年の頃には古い洋画を見漁りアニメなど毛嫌いするような中学生だったが、この作品はこれまで自分が観てきたどのアニメとも違っていると思ったことをよく覚えている。独特のフォントで描かれるタイトル、映画のようなダイナミックな音楽、そして全く陽気さのない同世代の主人公達におそらく自分を投影し、その世界観に心酔しているのが心地よかった。中学生になり突然感じるようになった陰鬱とした気持ちや、同じ学校の同級生達に対して感じるどこか冷めた気持ちを、この作品の中に垣間見たのだとおもう。

大学生になり、上京した2003年。
私はエヴァのことなどすっかり忘れていた。

むしろ高校時代にはエヴァというコンテンツからはすっかり離れていたと思う。私は最初にも述べたとおり、没頭するほどのエヴァファンというわけではなかったからだ。それに、もう中学生の頃のような中二病的な側面は、文字通り中三ぐらいの頃にはすっかり治癒していた。はたから見れば、高校時代は目立つタイプの生徒でさえあったかもしれない。

大学1年生の私は、原宿系のファッションをして、くるりや曽我部恵一、スーパーカーやナンバーガールなどの音楽を聴き、親に無理を言ってカリモクのソファを一人暮らしの自宅に揃える、というような分かりやすく「文化系」になっていた。東京にきてすぐの頃から、自然に出会う友人たちもやはり同じようなタイプの人間が多かった。地元では自分のような趣味の友人は一人もいなかったのに、東京に来たら自分と同じような人がゴロゴロといることにとても驚いたことをよく覚えている。特別だと思っていた自分は、とても平凡でありきたりなのだと突きつけられたようにも感じ、しまいには、それらにも飽きてさえいた。

あれはたしか、渋谷でのコンパだったと思う。人数合わせで行ったその飲み会は駒澤大学の男性が4人座っていた。渋谷のクラブで遊んでいそうな見た目の彼らは、文化系女子に受けそうな固有名詞を口々にして場を盛り上げようとしていた。「新しい魚喃キリコの漫画読んだ?」「岩井俊二好きなの?俺も俺も」「今度くるりのライブ行くんだけど〜」「ロストイントランスレーション観た?」だとかそんな感じだ。散々自分が好きであったはずの作品を、こういう男の口から聞くと途端にさめてしまっている自分がいた。つまらない飲み会に来てしまった、と帰ろうとしたときに、そのうちの一人の男が話しかけて来た。「ねえFumiちゃんは何が好きなの?」彼らの話になぜかむしゃくしゃした自分の口から出てきたのは「ゴッドファーザー」だった。体の小さい見た目中学生かと思うような童顔の女(私)からゴッドファーザーというマフィアめいた言葉が出てきたことに驚いたのか面白かったのか彼は随分その場で笑った。「君って、めちゃくちゃ面白いね。そういえば最近見た映画はある?」「レンタルだけど、式日ってやつ。エヴァの人が撮った映画なんだけど。」「え、庵野さんの映画?ってことはエヴァも好きなの?」

そういう風にして、他の彼らが渋谷系アーティストやソフィアコッポラなどの話をしている隅で私たちはエヴァンゲリオンの話をした。私が他人とエヴァの話をしたのはこの時が初めてだったのではないだろうか。世の中を斜めに見て、フランス映画に憧れて真似事のように片手にタバコをふかしているような大学生の私が、エヴァの話をする日がくるとは思わなかった。それぐらい、あの頃のエヴァは今よりもオタク的なコンテンツだったように思う。私と彼は二人だけの秘密を共有したような気分になり、すぐに親密になった。田園都市線の沿線に一人暮らしをしていた駒澤大学の彼と半同棲を初めてからは、奥沢にあるD&Departmentで新しいカリモクのソファを購入し、よく1Fにあるカフェでホットケーキを食べた。庵野秀明さんが出演している松尾スズキ監督の映画「恋の門」を、渋谷のシネマライズで観て爆笑した思い出がある。
結局その彼とは大学3年生になる頃に別れてしまった。理由はよく思い出せないが、互いに飽きてしまった、とかその程度のことだったとおもう。でも間違いなくあれが私の初恋だったように思う。高校生の頃にも恋人はいたが、恋をしたという実感があったのはあの人が初めてだったのだ。今思うとなぜあんな人のことをそんなに好きだったのかわからないが、過去の恋愛なんて大体そんなものなのだろう。

2007年に新卒で社会人になった。
大学生までの腐った根性を叩き直されるかのごとく、私が体育会系の会社で揉まれていた時代だ。オシャレができるからという理由で入社したアパレル企業でこんなにしごかれるとは思いもしなかったが、そのシンプルな感じが私には案外合っていた。思いがけない居心地の良さに、物足りなさを感じながらも(相変わらずひねくれている)、社会人になり少しだけ大人になれたことに満足はしていた。
その年の9月に「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」が公開された。
2年近く連絡を取っていなかった、駒澤大学の彼から連絡が来て、一緒に観ないかと言われた私は二つ返事でOKをした。私たちは2年ぶりに渋谷ヒューマントラストで待ち合わせをして再会した。社会人になり体育会系企業で少しだけ根性を叩き直された私よりも、大学を留年して相変わらず気だるそうな雰囲気でいる彼のほうが、随分大人っぽく見えたと思う。ヴィンセントギャロみたいなヒゲを生やして、黒の革のブルゾンを着ていた。相変わらず背が高くて席に座ると長くて収まり切らないのか、足を組んでいる。その姿に少しだけドキドキした。旧劇場版は、ビデオでしか観たことがなかったので、初めて映画館で体験するエヴァンゲリヲンにテンションが上がりきっていた。映画館は満席だった。「早く2作目も観たいね」そう言いながらその場で私たちは別れた。

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」はそれから2年も経たない2009年の6月に公開された。その時は、私から駒澤大学の彼に連絡をした。彼も二つ返事でOKをして私たちは静岡市にある映画館で待ち合わせをした。偶然すぎる話だが、私は一時期転勤で数ヶ月だけ静岡市に住んでいたことがある。それは駒澤大学の彼の実家のある場所だった。彼は私より1年遅れて大学を卒業し、1年前に地元に戻ってきていたのだ。当時すでに彼には恋人がいたはずだが、私はそのことには触れなかった。そんなことは今の私たちにとってどうでもいいように感じたのだ。2作目を見終えた頃には、これまでの長い間、鬱屈としていた気持ちが一気に晴れやかになったような気がして清々しい気持ちになったのを覚えている。お互いに社会人になっていて、すでに大人になっていた私たちは主人公のことを弟のように感じていたのかもしれない。「今回、めちゃくちゃ良かったよね。」そう言って私たちは、やはり前回と同じようにその場で別れた。

それから、私とその彼とは二度と会うことはなかった。
連絡先も変わってしまったのか、すっかり分からなくなり、Facebookで検索をしたこともあるが、どの方法をとってもヒットもしなかった。今はどこで何をしているのか全く見当もつかない。

3作目の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」が公開されたのは、3年後の2012年だった。
すでに20代後半になっていた私は、相変わらず東京で暮らし、恋人もいず、広告代理店に転職したばかりの激務だった頃だ。随分人生に行きづまっていもいた。そんな時にこの作品が手を差し伸べてくれるとも思わなかったし、なんとなく一人で見るような映画ではないと思い、観に行くことはなかった。
当時は海外の一人旅にはまりだした時期でもあり、意識が外に向いていた。あの鬱屈としたエヴァの世界に引き戻されるのが嫌だったのかもしれない。駒澤の彼も今は消息不明だ。私にとってエヴァは、3年に1度だけ思い出すという程度の付き合いでしかない作品だったのだ。

あれからさらに9年が経ち2021年になった。

私は30代半ばをすぎ、結婚もした。東京ではなく地元のある地方に住んでいる。全部、20代に想像した自分とは真逆になっていた。

2021年3月14日、私は夫と二人で映画館へ行った。私にとっては、2009年の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」で終わっていたエヴァ。特別に観たいとは感じていなかったが、頭のどこかで、自分の人生に時折り登場するエヴァに対して「私もこの物語を終わらせておきたい」という気持ちがあった。新劇場版になってからの宇多田ヒカルの楽曲もとても気に入っていたので、それだけでも聞きに行きたいと感じ重い腰をあげて劇場へ向かった。

このご時世にも関わらず、いつもよりも映画館は人でいっぱいだった。映画の主人公と同世代と見受けられる中学生の男の子の集団を何組か見かけた。

前途の通り、私は、映画の内容よりも中学生の頃に鬱屈していた自分や、なぜかエヴァで意気投合し、別れた後にもその男と2作も観にいった映画、そしてその20数年の間に自分に起きた様々なことを勝手に反芻している自分がいた。

全ての幕が閉じた後には、なぜだか胸が張り裂けるような気持ちがした。涙が出るほどではない、というのもなんとなく私とこの作品の距離感に合っていた気がする。

駒澤大学のあの彼も、この作品を観たのだろうか。


しばらくは「One Last Kiss」を聴きながら、自分のこれまでの20数年のことを、じんわりと思い出していたいと思う。




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