また人生を取り戻した、どこにでもいる誰かの話
先日、U-NEXTで配信中のコメディドラマ「サムバディ・サムウェア」を観たのだが、もうこれが本当によかった。
自然に溢れる笑いと涙とで、胸が多幸感でいっぱいになる。
アメリカの大手制作会社HBOが2022年に配信を開始したオリジナルのテレビシリーズで、1話30分、全7話。
日本ではあまり話題になっていないようだが、アメリカ本国のドラマファンの間では評判のドラマのようで、すでにシーズン2も決定とのことである。
ああ、もう早く観たい。
(HBOのドラマはセックスアンドザシティやゲームオブスローンズをはじめ、近年はサクセッションやユーフォリアなど傑作のドラマが多いことは言うまでもないが、こういう一見地味な作品までもクオリティが高く本当に驚かされる。)
大切な人を失い、人生の希望や情熱をなくしてしまっても、家族や周囲の人に支えられ、周りからも必要とされながら、時間をかけて再生していくことができるのだ、と、この作品は教えてくれる。
過去や未来ではなく「今」を生きることにフォーカスし、決して湿っぽくならずに、全編をゆるいコメディのようなタッチで描かれているのがとても良い。
緑の草木や、大平原の美しい風景にフォーカスしたショットや、一見殺風景に見えるような場所にある素晴らしい瞬間を捉えた映像も、魅力的だ。
これは「どこかの誰か」あるいは、「どこにでもいる誰か」の話だ。
この作品の中で特に好きなのは、上の写真に写っているサムとジョエルの二人の関係だ。
心を閉ざして誘いにあしらうサムに、「行こうよ」と何度でもしつこく誘うジョエルが最初から本当にとても優しかった。
気がつけば、二人は友情関係というよりはもうバディの様になっていく。
二人は決して恋愛関係になるわけではないし、(そもそもジョエルはゲイである)性別もタイプも違う二人が、どうでもいいことで笑ったり、ふとしたことで落ち込んで泣いたりする姿を見ると、人生ってこれでいいし、捨てたものじゃいなと不思議と思えるのだ。
この作中も、別に特別な出来事があるわけでもないし、熱烈な恋愛があるわけでも、突然自分にぴったりの職業が見つかったり、成功してお金持ちになるわけでもなんでもない。
だが、人が再生していくということに、決してそういうものは必要ないのだと思う。
誰かが自分を必要としてくれているという実感と、大切な誰かに幸せであってほしいと願う気持ちだけだ。
姉が亡くなってからずっと、サムは夜ソファーでしか寝られなかったのだが、
少しずつ人生が楽しくなり、大好きな歌を再び歌うようになたサムは、きちんとベッドで寝られるようになっていた。
きっと、これまで自分のことを労ってあげられなかったのだな、幸せにしてあげられていなかったのだなと思うと、とても切ない気持ちになった。
だから私は「ああ、サム、本当によかったよ。」と自然と声が出てしまった。
知らず知らずのうちに、自分を幸せにすること、自分が幸せになり心から人生を楽しむことから、「自ら」遠ざけようとしてしまうことは、誰にでもありうることだ。
特に、いろいろな経験をして、「自分はこれでいいや」と諦めがちな中年期以降ではそうなりやすいのかもしれない。
そういえば、私の母も長年介護していた祖父が亡くなった時に同じような状態になっていたことがあった。
少しだけ元気になってきた頃、母は大好きなガーデニングを再開して、春になると綺麗に花が咲いた。近所の人に、「お庭のお花が綺麗でいつも楽しんでますよ」と言わたり、苗をお裾分けしたりしていくうちに、少しずつまた輝きを取り戻していった。
人生の中で、自分以外の誰かと繋がったり、人から認めてもらいたいと思ったり、どこかに所属したいと思ったり、誰かに愛されたい、もっと人生を良くしたい、という欲求は、何歳になっても、どんな時でもやっぱり肯定していきたい。
そう思いながら、「今」というこの瞬間を一番大切に生きていけたらどんなに素晴らしいだろうと思う。
この優しくて可愛らしくて愛おしい人生の物語も、多くの人に届くといいなと思う。
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