見出し画像

かつて子供だった私の20代の時のこと

知らず知らずのうちに本音が言えなくなり、好きなことを堂々と好きと言えずにはにかんでしまい、本当はあまり上手く行っていないのに大丈夫だと言っていたり、他人にむかついたり怒れたりすることも表にせずに冷静に自分で「自分をご機嫌に」(この言葉はとても嫌いなんだけど)することが正解だと思っていた。そのくせこちらにあからさまに不機嫌をぶつけてくる相手に遠慮して怒らせまいと気を使うという矛盾的な行為は率先してやっていた。そういうことが美学だと思っていたし、それが大人になるということだとずっと思っていた。

自分自身が30代後半になってからやっと気がついたのは、大学を卒業したかだか23歳で働きはじめて会社や社会の当たり前に染まる程度には自分は真面目で、正義感が強すぎて長いものに巻かれることを拒否した挙句に自分が退職金も有給もドブに捨てて会社を去るという損な選択をしたことがあるぐらいに自分がお人好しだということだ。
別に自分が弱かったわけでも精神的に未熟だったわけでもない。今の自分ならそれがわかるが、当時の自分はそう思えるわけはなかった。社会人失格だなと思っていた。
なぜなら、ほかに飛び抜けた才能があるわけでもなく他の人とは違う特別な努力をしてきたわけでもなく、ただ平凡に勉強をして自分なりに努力をして合格した大学を卒業して唯一受かった就職先に就職しただけの平凡な若者だったからだ。

そして某転職サイトに記載されている通りの、今思えばとても狭い視野の中で、その先もまた最良の選択をしようと努力した。自分では正統派にキャリアを積んでいるつもりだったのに、その日々の多くは、なぜか違和感と圧倒的な虚無感しか感じることができなかった。
学生時代に没頭していた趣味もいつのまにかどこかに置いてきてしまっていたし、知らないうちに価値観がずれてしまった友人達とも疎遠になっていった。
私の20代から30代の初めというのはまさにそういうものだった。

そして、それらのことを、しばらくは心底恥じてもいたのだ。


学生時代の私は、映画が好きだった。
今も好きだから過去形にするのはおかしいけれど本当に、真に好きだったのだ。

幼少期から父の影響で映画を良く観てはいたが、大学で上京してからは、地元にはなかったミニシアターに足繁く通い、アメリカ以外の国の作品にも熱烈にハマっていった。
習い事のピアノに琴、小学校から通う塾、部活のテニスに、高校受験に大学受験。アメリカ留学とレオナルドディカプリオ。18歳までの自分は、親や周囲の環境が作ってくれた自分自身でできていたと思う。誰だって環境で自分ができていくけど、昔の私は特にそうだった。
だが、上京して一人暮らしをはじめてから私が初めて着手した何かや、初めて感じた感動や落胆は、完全な自分の意志によるものだという実感があった。
それが、嬉しかった。
それに、そんな時に出会った友人達にはどういうわけか、私はとても自然な態度で接することができてもいた。中学高校大学、友人はそれなりにいたが、どこもかしこも自分の居場所ではないという気がしていた。だがその時だけは違った。
実際に今も自分の唯一の親友は、大学生の当時新宿三丁目の居酒屋でバイトしていたときに意気投合した同級生なのだから。

就職活動の時期が迫ってきた時、やはり私は周囲のようにありきたりな就職をしたくないと思っていた。
だからと言って、なにか明確なビジョンがあるわけでもなかった。それに、好きなことのために親からの仕送りや家賃を断ってでも東京で1人で生きていく、というほどの気概もなかった。
映画関係の仕事がしたいからまた別の学校に行きたいとか、いったんフリーターにでもなって将来をじっくり考えたいと一応は親にせまったが、どれも、いつも反対された。親心からすれば当たり前である。反発するほどのやる気も勇気もなかった私は、他の多くの人と同じように結局適当な気持ちで受けたアパレル企業に就職した。(本当は、当時希望していた企業は全て全滅でその会社にしか内定が決まらなかっただけなのだが。)

働きはじめてみると、今までには感じたことない感覚があった。やりがいやそれによって誰かに認められる、というようなことだ。それに手応えを感じた私は、何度か転職を重ねて働く土地も変えてきた。気がつけば、30代半ばぐらいまで、ずっと途切れることなく常に最良の、そして上を目指すための努力していたつもりでいた。挙句の果てには起業もした。とにかく上を目指すということが正解だと思っていたのだ。よく考えたら、上、というのが、一体全体どこなのかも、さっぱりわからなかった。

結局のところ、私はついに30代後半となった昨年、そういうことの全てをやめた。

理由はわからないが、とにかく「これは、絶対に違う」という確信を持ったのだ。そして、私にとっては違ったがこれが正解になれる人も、この世には多くいるはずだということも実感していた。

仕事やそういう野心のようなものを捨てた自分は良くも悪くも大学生の自分と似ていた。ただ状況が似ているだけなのかもしれない。最近の悩みといえば、鑑賞する映画やドラマが沢山あって時間が足りないというようなのことについてだし、小遣い稼ぎのアルバイトもしらないうちにすっかり慣れてルーティンと化してしまった。そして案外そういうような生活が、今は結構板についてきているような気もしている。


つい先日まで兄の娘である8歳と4歳の2人の姪と長い時間を一緒に過ごしていた。

兄家族と私たち夫婦は実家に集まり、私たちは久しぶりに一緒に数日を寝泊まりした。
こんな事を書いたら親バカならぬ叔母バカだと思われるが、目に入れても痛くないぐらい私は2人のことが可愛くて仕方がなく唯一無二の大切な存在である。

ある日の夕方、兄夫婦が出かけるというので私と夫、姪2人で実家の近くを散歩した。

それは、私が小学生の頃の私の通学路で遊び場だった。

水路に石を投げたり、道に生えている葉っぱをつんだり、道に引かれている線にだけ沿って歩くゲームをしたりしただけだ。でも、私の頃とほとんど変わらない遊びだった。

近くに大きくてたくさんの花が咲いている広場がある。そこは結構穴場で、誰もいなくて昔は良く友達と自分たちだけの秘密の場所のようにしてそこで遊んだ。都会育ちの彼女達はもちろん大喜びで声を上げ、そこを駆け抜けて走り、鬼ごっこをしたり地面に寝そべったりした。
夕暮れ時で地面の草が反射して黄金色になっていた。
本当に絵になる景色だった。

それでふと、自分にもこんな時があったのだと、私は思った。

先のことは全然知らない。
今の目の前の金色の景色の中、声を上げて走ったりしたかつての私は、今の自分のことをどう見ているだろうか、と思った。


不思議と、姪の2人には自分のようになってほしくないとか、こんな経験をするべきではないと思うことさえおこがましいことだと思える。

それは、決して自分の辿ってきたことだって悪くなかったような気がしているからなのかもしれない。

たまに昔の写真のギラギラした眼差しをして、体内にエネルギーと野心を溜め込んでいた自分を見ると、どこか愛おしさすら感じてしまうのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?