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父と私、そして娘

そういえば、私の父もそうだったのだ。今の自分がいるのは、あの父がいたからではなかったか。

つい先日、NHKの朝の連続テレビ小説『虎に翼』の中で主人公の虎子の父が病床で娘に過去の失態を次々と暴露し家族に謝るという、切なくも面白いエピソードがあった。

「こんな情けない父さんで悪かった」という父。

それに対し、伊藤沙莉演じる娘の虎子は苦虫を噛み潰したような顔をし続けるも、最終的にはこう言うのだ。

「女学校に行くのを後押ししてくれたのも、いつも可愛いって言ってくれたのもお父さんだけ。全部お父さんだけ。それはこの先も絶対に変わらないよ。」


父への許せないという感情よりも、誰よりも愛してくれたこと、虎子がお父さんに感じてきた本当に好きなところが次々と言葉になって出てくるシーンである。


私は気がついた時には、もう涙が止まらなくなっていた。

ここ数年、私はこれまで感じたことのないぐらい父の言動にイライラするようになっていた。

なぜだかはわからない。もしかしたらあの時自分が身籠っていたからホルモンのせいだったのかもしれないし、あるいはただ我慢が爆発しただけだったのかもしれない。
いずれにしても私は、本人にはほとんどわからない方法で、以前よりも少しずつだけれど実家の父のことを避けるようになっていた。亭主関白な父という存在はなんとなくもう時代にそぐわない感じさえしていたのだ。


振り返れば私は子供の頃から父のことが好きだった。それに私は父にとても似ていると自覚している。

そもそも自分が映画を好きになったのは、間違いなく父の影響だ。私は学校から帰ると父には内緒でよく父の映画コレクションを観るのを楽しみにする子供になっていた。トップガンにプラトーン、ゴーストにジョーズにゴッドファーザーにスターウォーズ。すべて父のレーザーディスクで私は観た。初めて映画館に行ったのは3歳の頃だったとも記憶している。それはバックトゥザ・フューチャーpart2で、33歳の父が3歳の私と一緒に年末の買い出しでデパートに行った帰りにどうしても観たいとゴネたからだった。

明るく前向きで行動力があり文化的な趣味を好んでいた父のことが昔からとても好きだったのだ。

大人になり働き始めると、自然と父に仕事の相談をするようにもなっていた。いつも褒めてくれるまた励ましてもくれていた。私が何度か転職をし住む場所も変えてきたけれど、そのことを反対されたことは一度もない。ぶつかることは時々あったけれど、最終的には「やりたいことを自分の思ったようにやればいい」と父は言い金銭的に援助してもらったことも何度もあった。

そうして気がつけばコロナ禍で家族との関わりも薄くなり、そうこうしているうちに父も以前よりも年老いてきていた。

父は定年退職後しばらくは精力的に働いていたものの、現在は週に何度か以前の知り合いにお願いされる仕事を軽くやるだけの生活になった。体調がすぐれない時もありリビングに根が生えたように過ごしている事も以前より多くなってきていたようだ。

私は気がつけば、父のデリカシーのないところや、歯に衣着せぬ物言いやちょっと手荒い性格など、嫌な面ばかりが気になるようになっていた。

そういえば昔から亭主関白で、押し付けるところがあったなあとか、今さら家事が全然できないところが妙に苛立つようになっていた。やっぱり時代にそぐわない人、と思った。

そして時々どうしても苛立ってしまうことに理由づけまで、しようと試みた。

「お父さんは昔から男尊女卑なところがある」とか「旧態依然としたところがあるから私の気持ちはそもそも昔からわかっていなかった」だとかそんな風に。

だが、先に書いたあのシーンをみたとき、ハッとしたのだ。

ひどいのはむしろ私の方だったかもしれない。


年齢を重ねて仕事も辞め、少し弱気になっていた父の姿にイラついてしまったのではないか。
健康で頼りになる時にだけその人を認め、そうでない時にはもう不必要だと切り捨てようとしていたのは私の方だったのではないだろうか?と。

確かに父は昔気質の人である。
でも自分もきっといつかはそうなる。

正しいかそうでないかの前に、私は本当は父のことがとても好きだったのだ、と思った。

映画の話を一緒にしていつも仕事ややりたいことを応援してくれていた父のことを。
すっかり忘れていた過去の色々な出来事を。




昨日、久しぶりに実家に娘と遊びにいった。
久々と言ったが、1週間ぶりだ。娘が産まれてからは両親とも頻繁に会うようになった。
目の前にいる父は、よくよく見れば昔と変わらず明るくて何事にも前向きで楽しい人である。声も大きくてよく笑いつまらない冗談ばかり言っている。

それは生後6ヶ月の娘の父への反応を見ればすぐにわかることだった。

娘は父のことがすごく好きなのだ。

昨年出産した後すぐ、私は実家に1ヶ月ほど滞在していた。母の手助けが欲しかったからだ。
はじめは急にはじまった小さな赤ん坊との暮らしに戸惑っていた父も、気がつけば私の代わりに娘にミルクをあげたり沐浴を手伝ってくれるようになっていた。

あの時は本当に大変だった。両親ともなぜかよく喧嘩した。

でも、私にとってあれは一生の宝物の日々だったのだ、と今になり実感している。

「時間は有限だよ。きっと後になってこのときのことを良かったと思う時が必ず来るよ」

当時里帰りしていた時に、あまりに私が両親の愚痴を言うので夫がこう言ったのだった。それはたしかに本当だったのだと思う。

これからもできるだけの時間を、両親とも娘とも過ごしたいと思う。父の面白いところを、私は娘にもたくさん教えてあげたい。いつか3人で映画館に行けたらいい。
いや、絶対に行こうと思う。





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