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日々と恋愛映画

変わる時は一瞬だ。後で振り返ればなかなか大変だったとか長かったとか思うのだろうが、その瞬間に見える景色はあっという間に変わっていく。

新しい場所で働きはじめて10日が経った。
数ヶ月ぐらいが経っているような気分だけれど、間違いなくまだ10日だ。人間の時間の感覚なんて、全く当てにならないものだ。


10月の退職の当日、その日出勤ではなかった人達まで私のために会社に来てくれていた。

ある人からは小説を3冊もらい、花束と一緒にスターバックスのカードやゴディバのチョコレート、それからハーブティーだとかマフィンなどをもらった。袋の中にはびっしりと文字の詰まった寄せ書きの手紙も入っていた。

そういえば、私はかつて働いた場所でこんな風に誰かにしてもらったことなんて一度もなかった。


「もう自分は一度足を止めなければならない」と思ったのは約2年前だった。

仕事も何もかもの活動を休止したモラトリアムとも言える時間を過ごした後で、ほんのちょっとしたお小遣い稼ぎのつもりで働き始めたのが、この会社だった。

私は毎朝起きてコーヒーを飲み、前よりもきちんとした食事をとったりして日々を過ごした。

日常の合間に少しだけ働いた。

やり始めると、仕事も結構気に入って、周囲には親切で気兼ねなくてとても付き合いやすい人ばかりが集まっていた。


小説を読み、映画を観て、温かくて良い香りのするお風呂に浸かる。たまに夜更かししたら朝は遅くまで寝ていたりもできる。
こういう時間を犠牲にしない生活、というものを真の意味で考えると、大人になって「はじめて」体感できていた気がする。


それは、私が新卒で働き始めた23歳から現在までの間にほんの少しずつ犠牲にしてきたものでもあった。


「花束みたいな恋をした」という映画の中で、かつて映画や小説が好きで文化を愛する若者だったはずの主人公が、生きていくために好きなことを諦めて会社や社会に揉まれていくうちに、本当に好きだったものや情熱を失っていく、とても印象的な描写がある。


『本当は映画観たいし本も読みたいよ。でも、なぜかパズドラしかできなくなっちゃったんだ』



かつての私も彼と同じように、気がつけば小説の代わりに自己啓発本を読むようになり、映画の代わりに脳や感情を動かされないテレビドラマを横目で流して観たりして過ごしていたことがある。(パズドラはやったことがない)



でも私はこの心地よい感覚をもたらしてくれた場所に、自己啓発本を読まなくても済むようになった今の生活に、どういうわけか留まることを選ばなかった。

ここでなくても今ならば大丈夫だという気がしたからかもしれないし、自分にとってのそういうフェーズは過ぎ去ってしまったからなのかもしれない。

いずれにせよ、私はもう違う環境に飛び込んでしまっているのだ。

それに、自分にはこの映画の主人公のセリフが記憶の中にある限り、きっと大丈夫だと感じてもいる。



数日前にウディ・アレンの映画『アニーホール』を観た。

観るのはとても久しぶりだ。

ニューヨークに暮らす二人の男女が出会い恋に落ち、散歩したりただ取るに足らない会話をしたりテニスをしたり一緒に寝たりするけれど、結局は別れてしまう。

どこにでもある当たり前の男女の恋愛模様の中に、都会で暮らす人間の刹那や、あとになってみれば実はとても特別だったと気がつく、2人のやりとりがとてもいい。

チャーミングで愛おしくて、少しだけ切ないところが気に入っている。

なぜか定期的に観たくなる作品のひとつだ。

ダイアン・キートン演じるアニーが、倦怠期の恋人(アレン)とのセックス中に気分が乗らず、魂だけがベッドを抜け出してソファに幽体離脱するという面白いシーンがある。

久しぶりにこの映画に触れた私は、なぜか他のどんなシーンよりもここが気に入ってしまった。

こんなシーンあっただろうか、とさえ思った場面になぜだか今回は釘付けになった。

気分が乗らない日には体だけそこに置いて、自分はどこかにふらふらと遊びに行ってしまえるぐらいの気楽さと正直さが好きだ。

そういえば私はこれまでずっと一つの場所にいられたことがほとんどない。

自分自身に何かしらのレッテルがつき始めるともう別の場所に手を伸ばしてみたくなってしまう。例えばそれは仕事。あまり深くない交友関係。新しいことをやってみたくなるし興味を持ったことはすぐに飛びつきたくもなる。もしかしたらこんなことはあまり良いことだと思われないかもしれない。


でも、アニーのように身体ごとその場を離れなくてもいいことだって、時にあるのかもしれないと最近は思えてもいる。

心や思考だけは、自分のものでありつづけられさえすれば、別に人間は案外どこでもどんな状態でも生きていけるような気がするのだ。

話と筋とは全然違うけれど、数年ぶりのアニーホールになぜだかとても勇気づけられてしまった。

11.12の日記


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