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「どっちもどっち」じゃない

 信徒が牧師から受けたハラスメントを告発するようになって久しい。被害者ははるか昔からいたはずだが、SNSの発達がそれを一気に可視化させたと思う。それまで声を上げられなかった被害者たちが語り始めている。「宗教2世問題」もその文脈で登場した言葉だ。

 そしてここ最近、逆に牧師が信徒から受けたハラスメントを告発するケースも増えている。牧師が被害を受けた話は私も以前から聞いている。確かに教会で起こるハラスメントは、牧師から信徒へ一方通行で行われるものではない。

 聖霊派や福音派が牧師の独裁体制になりやすい(牧師がハラッサーになりやすい)のに比べて、招聘制の教団教派は信徒側(特に長老や役員や執事など)が事実上教会を支配しやすい立場にある。牧師に対する陰湿な嫌がらせも起きていると聞く。

 何であれハラスメントは許されない。適切な予防と対処が必要だ。けれどこの流れを見て、「牧師も信徒もどっちもどっちだ」という誤った認識が広まるのを私は危惧している。例えば牧師から被害を受けた信徒が、「信徒だってその気になれば反撃できるし、牧師を痛めつけることだってできるじゃないか」などと言われたらたまらない。私がいたカルト化教会では、牧師に逆らうなど到底あり得なかった。反対意見を述べただけでも、どんな目に遭うか分かったものではなかったのだ。「反撃する」なんて、実態からかけ離れている(その点では、ハラスメントを受けている牧師が「牧師なんだからやり返せるだろう」と言われるのも理不尽だ)。

 教会政治は教会ごとに違い、パワーバランスの不均衡も教会ごとに違う。その事実が正しく知られないと、教会内で起こるハラスメントが100%個人の(牧師あるいは信徒の)力や人格の責任に矮小化されてしまう。対等な関係にある者どうしの「喧嘩」や「揉め事」のように取られてしまうのだ。

 会社を例にすれば分かりやすいかもしれない。社長が社員にハラスメントすることはあっても、逆は通常ない。そして社長がハラスメントできるのは権力があるからだ。それを「社長と社員の喧嘩」と取る人はいないだろう。そこにある権力勾配は明らかだ。

 その点で「牧師も信徒もどっちもどっちだ」という認識は、牧師も信徒もやろうと思えば(どんな教会政治であれ)ハラスメントできてしまう、という印象を与えてしまう。けれど組織におけるハラスメントの本質はパワーバランスの不均衡であり、弱い側が一方的にやられるだけなのだ。互いにやり合うものではない。

 この「どっちもどっち」論が、権力勾配を不可視化しないように願う。

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