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「まずい」への違和感

「なんかあのカレー、おいしくなかったよね、まずかった」
友人とカフェに寄った帰り、そんなことを言われる。

「スパイスが効いてる感じじゃなくて優しい味だったよね」
そう答えたけれど、何かが引っかかって止まらない。なんだろう。

というかそもそも人に店を選ばせておいて文句を言うなら、自分でも調べればよかったのに。他力本願すぎるんじゃないか?

それは置いておいて、やっぱり何かが引っかかる。


帰り道、自宅に帰ってからも何度も反芻して、引っ掛かりを整理する。

これは、おいしくなかったんじゃなくて、まろやかだっただけじゃないの、味付けが好みじゃなかっただけじゃないの。

自分の好みの味付けじゃなかったことを「まずい」という言葉で形容してきたこと。これだ!

少なくとも、私はまずいと思わなかった。好みは分かれるかもしれないと思ったが、子どもも食べられる優しい味で、野菜が溶け込んだ「じゅわっと旨みが染み込んでいる」カレーだった。

「おいしい」は人の数だけある。味覚が育つ幼いときの食生活や生まれ育った地域など、いろんな要素がその人の「おいしい」を作っている。

例えば、ヴィーガンの人だったら、いくらおいしいお肉だろうと「食べたくない」となるだろう。インドの人が喜んで食べるインドカレーを日本人が食べたら、辛すぎるなんてこともある。

だから、自分の好みじゃないからって「まずい」「おいしくなかった」と表現するのは、ちょっと浅はかなのではないかと思ったのだった。

しかも人に店を選ばせておいて……(やっぱり執念深い)。

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