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暮らしが「佇まい」をつくる

人の「佇まい」に、つい惹かれてしまいます。

街中で、佇まいがしっくりくる人を見ると遠くからガン見(失礼)。電車でも気になる人を見つけると、見てないふりをしつつチラ見(恋かよ)。

おしゃれかどうかはあまり関係なくて。
「佇まい」がなんだかいいなぁ、という人にはなんだか共通点がある気がします。

佇まいとはなんぞや

調べてみると、佇まいには2つの意味があるようです。

「立っているようす、そこにあるもののありさま」
「暮らし方」

「暮らし方」……。

言われてみれば、「佇まい」は「人」だけではなく「物」に対しても使われる言葉ですね。

私の今までの感覚では、「佇まい」が目を引く人はこんなイメージでした。

・しぐさや姿勢、雰囲気
・装い
これらがフィットしていて、チグハグしていない

これは正しいようで少し違うのかもしれません。
さらに考えてみますね。

「暮らし方」は「佇まい」に表れる

内面は外見に表れる、とよく聞くけれど、「くらしかた」はまさに「佇まい」に表れるものじゃないかと思うのです。


自分に自信がないと、表情や姿勢がなんだかどんよりしてしまいます。

時間と気持ちに余裕がなくて、ニットの毛玉を取るのを後回しにしてしまったり。

まさに過去の私がそんな感じでした。

今の私も大変身したわけではないのですが、前よりも時間と気持ちの余裕ができて、家事の仕方や似合う服に変化が出てきたんですよね。

「佇まい」とまでは行かなくとも、落ち着いた仕事なのになぜか痩せたり、服を厳選して選ぶようになったり、見た目が変わったと言われることが増えました。

運動ができないのに「ジャージが似合う」とまで言われていた私が、Tシャツ一枚でなぜか褒められるようになりました。(本当になぜ?)


街で惹かれる人の共通点を改めて考えてみると、なんだか生活がいい意味で滲み出ている人ばかり。

パリッとしたシャツワンピース一枚をサラッと着こなしている人には、アイロンや服の手入れを怠らないきちんとした人という印象を受けます。

キャバクラでお仕事を終えたお姉さんが私服で1人で静かに路地裏でタバコを吹かしている姿も、オフ感満載でつい気になってしまいます。

暮らし方にはその人の思いや在り方がにじむ。

佇まいと暮らし、思い・在り方は相互関係にあると思うのです。

自分にフィットした暮らしが
「佇まい」をつくる

「暮らし方」というと、ていねいな暮らしをしないといけないのか?と疑問に思うかもしれません。私が思うのは、あくまで自分にフィットした暮らし方のことです。

逆に、フィットしない、無理が生じる暮らし方だと、どんよりムードになるのも当然です。

例えば、仕事大好き!な人は、四六時中仕事のことを考えていたいから、家事の負担を工夫して減らすかもしれない。
強制的に家事やってください、仕事はしなくていいです、ってなったらやっぱつらいだろうし。

逆に、仕事より楽しく生きること重視!なら、仕事と生活のバランスを取ろうとするかもしれない。
こういう人が休日出勤、残業ガンガンしろよ!って職場だったら病んじゃうかもしれないし。


仕事について挙げてみましたが、暮らしだって理想は人それぞれ。

とにかく楽に家事を終えたかったら、家電に頼ったり物を減らしたり。

健康でありたい思いが強ければ、食べ物や運動習慣を見直すかも。姿勢に気を使う人もいるでしょう。


自分にフィットした暮らし方、働き方、思い、その選択の繰り返しが「佇まい」をつくってくれるのではないかと思います。

自分の理想は、暮らしから生まれる

昔から、「意志を突き通す潔いかっこいい女性」が好きで惹かれていました。

けれど、装いをいくらかっこよくまとめても、しぐさを真似してみても同じにはなれなくて。(同じ人間じゃないので当たり前なのですけど)

そもそも「意志を突き通す」ことが自分にとってフィットすることなのか?
「意志を突き通す」ためなら暮らしを犠牲にできるのか?

もっと自分にフィットした理想があるんじゃないか?

マイペースなわりに周りに気を使うタイプの私には「意志を突き通す」だけではフィットしにくいところがある。


これも時間と気持ちに少し余裕がある暮らしができている今だからこそ気づけたところです。

自分にフィットした暮らし方が自分の理想を変え、「佇まい」をも変えていく。そんな変化を楽しんでいきたい今日この頃です。

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