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こんな奴がモテるはずがない。ヒモになった経緯(2)

ヒモに至ったマインドのひとつ、「恋愛クソ面倒」に至った経緯をご紹介しております。
7 子ちゃんを唯一神とする宗教体験真っ只中だった僕は、彼女からの仕打ち=苦行と捉えており、その先のニルヴァーナを目指していたわけですが......

(詳しくは下を読んでね。スキボタンを押すと良いことがあるらしいですよ)

苦行はどんどんエスカレートしていき......ついに心がボッキリ折れる電話を受け取りました。 



大学に入ってからは 7 子ちゃんとのデートの最中、渋谷のデパートで「カップルなんだからペアリングが欲しい」と言われ、ウン万のアクセサリーを衝動買いするために震える手でクレジ ットカードの申請用紙を記入していたこともありました。

また、年上の 7 子ちゃんは僕よりも先に社会人になり、転勤で中国地方に行ってしまったので すが、「ここには知り合いがいなくて話し相手がいないから来て欲しい」と、夜行バスに9 時間揺られた挙句、彼女のマンションの廊下で寝ていたこともあります。

とにかく、向こうの理不尽を受け入れることが進展に繋がる。と、信じて疑わなかったので す。

『大事な人は結局のところ一番身近にいる』といったJ-POPの歌詞や、恋愛物語を僕は自分の都合の良いように捉えていましたし、彼女と付き合うのはいつも彼女が失恋した後「やっぱり優しいふみくんが......」が発端であったので、「こんなにワガママな彼女を受け入れられるのは僕しかいない」と、7 年の間で変な自信すら出来上がっていたようにも思えます。

そんな盲目すぎる恋に終止符が打たれたのは、ある日の彼女からの電話でした。

会社員 1 年生として社会に揉まれていた彼女は、頻繁に愚痴の電話を僕に掛けて来るようになっていました。僕もそのことに嬉々として存在意義を感じており、あの手この手で彼女を励まそうとしていたのですが......。

「昼間の仕事を思い出したくないのに、何で私に会社の話をさせるの?」 「何で私がもう戻れない学生生活の話をするの?」


言葉が詰まった僕に対し、


「何で黙るの?彼氏なんだから何か喋ってくれても良くない?」

と、言われたあたりで、もう何も言うことができず、ただただ泣いてしまったんですよね。

長いこと好きだったので、もう引き下がれず意固地にもなっていた。と、今でこそ冷静に分析することもできますが、その時の僕はそのことを自覚することを拒否していたのかもしれませ ん。

しかし、彼女の物言いはそれまでの僕の一方的な我慢や信じていたものを崩すキッカケとなりました。

色んな感情が決壊してしまった僕は、このまま関係性が続いたとしても自分が擦り切れることを確信し、その電話で 7 回の交際で初めて僕の方から別れを切り出しました。



渋谷のマルイで作らされたカードはエポスカードです。「エスポワール号」に乗る気持ちでクレジットカード申請用紙を記入していました。 買わされたのはディズニーモチーフのプラチナだかピンクゴールドだかよくわからんリングです。
別れた後に質屋に出したら 2,000 円だったことを今でも覚えています。

 明日は、この状態から舌の根乾かぬうちに女の子の家に転がり込んだ話をしようと思います!おわり。


飼い主の彼女からの一言

7子ちゃんへの献身的なところ、現在ではコンビニへのお使い、お弁当作りなど名残を引き継いでいますね。

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