辺野古の話、基地の話

 

 様々な事情があるのだろうし、きっと全て真実を知ることは出来ないだろうから、一個人 の思うところの徒然。

 仮にこれが米軍基地ではなく自衛隊駐屯地だったとすると、どうなんだろうか。他国の武力でないから、まだ許せるのか、逆にもっと許せないのか。

 一地域に偏って基地があることが問題なのか、基地そのものの存在が問題なのか、私の習った歴史によると敗戦国であるところのジャパンとしてはそこは強くいえないのか、経済的な問題も絡んで来てしまうのだろうけれど、根本的なところは自然環境云々ではないように思えてならないし、当然、建設するにあたって土壌がどうのこうのいう話は二の次。戦力の保持がイコール平和の保持というなら、結局のところ、たとえば「どこか」に戦闘機やら戦車やら戦闘力をもった人間を配備することを論理的に受け入れるざるを得ないように思える。だって、うちの戦力では心許ないので助力してくださいという構図が成り立つもの。そこは私の家の正面かも知れないし、あなたの家の隣かもしれない。

 戦力の不保持といいながら戦闘機や戦車がある矛盾を抱えながら、あやふやな平和を享受する方向で流れてきた私たちは、いつか別の方向に舵をきることになるのだろうかそれは今日の時点では分からないけれど。どの立場の方も個人個人では気のいい人々だったりするので、私の人間関係としても、単純ではない。

 なるべくせめて身の回りが平和な明日を望む。

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