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よい鍼灸師の条件

「先生、良い鍼灸師の条件って、なんですか?」

あるお弟子さんがした質問に
お師匠先生はたった一言

「センス」

と答えた。

お弟子さんは当たりが外れて驚いた。
高い技術とか、解剖の知識とか
専門的なお勉強に関することが
返ってくると予想していたからだ。
お弟子さんはさらに質問した。

「じゃあ、センスのない人はどうしたらいいでしょうか?」

「センスを磨くには、遊ぶといいよ」

お師匠先生はそう答えた。
_________

この話は、私がいつもお世話になっている
鍼灸師の中根はじめ先生がお師匠先生である
岡田明三会長に質問した時のエピソードの一部。
(お借りしました。先生ありがとうございます)

当初はぼんやりと聞いていた程度だったけれど
思い返すたびに味わいが深まってくる。

鍼灸師の端くれである私も
もしかしたらこういう意味なのかも
なんてことを、今日も考えていた。

「センス」「遊びから学ぶ」

なんども言葉を反芻してみる。
牛は4つの胃袋で何度も反芻しながら食物を消化する。
私も言葉を血肉にするために、何度も咀嚼する。

服のセンス、料理のセンス、
インテリアのセンス、、

どの程度だと心地よいか。 
しつこくないか。
真面目すぎても窮屈だし、退屈する。

治療だってそうだ。 
俯瞰してバランスを取るセンスが必要。
そのバランス感覚っていうのは、
ある程度法則は存在するのかもしれないけど
どんなバランスに持っていくかっていうのは
カチッとした正解があらかじめ
用意されているわけじゃない。

人の身体なんて日によって違うし、
季節によっても違う。
年齢によっても身体も変わっていく。

だからこそ人間のいろんな面が見えてきて、
面白いのだけど、
自分自信がカチコチの正しさとやらに、
視野狭窄的になっているうちは
その面白さは、難しさでしかないのかもしれない。

あ、今日のこの人は、このくらいがいい感じだなっていうそのかんじ、その在り方を感じられるようなセンスが私にも欲しい。

「センスがなければ、遊んだらいいよ。
春はお花見、夏は海水浴、秋は紅葉狩り、冬はスキーみたいにね」

落ち着いていて柔らかくて気取らない
先生たちの声と表情の映像が、ふと脳内で再生された。

良い鍼灸師になるには、
まず自分の心地よいを探してみるってことかもしれない。

今日はさっそく思い立って物置化してしまっていた
書斎部屋(になるはずだった)スペースの断捨離をすることにした。
結局読んでない本やどれも2ページしか使ってないノート、無限に出てくるメモ帳、勉強会資料の段ボールの山。溜め込んでいたものがどんどん出てくる。

作業してじんわり汗をかきつつ
いっぱいになったゴミ袋をぎゅっと縛る。
要らなかった物が減ると
それを収納していた棚さえ要らないことに気づく。

無関係に見えた物事も、見えない法則や
メタファーで繋がっているのだとしたら、
部屋のセンスがあがると治療のセンスも期待できるかもしれない。

過去の物への執着が空間の窮屈さを作り出している。
今までずっと捨てられなかった、
いろんな治療メソッドの本やDVDを、
ようやく手放してもいいかもと思えている。

凝り固まって役に立たない
思い込みの枠をどけて、余白をつくる。
できた隙間に新しい流れが舞い込む。 

部屋に気が巡りだすと、
からだの細胞がみずみずしい生命力を
吹き返してくるようだ。

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