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2020年4月の記事一覧
まるで海外のどこかを旅するように。
海外旅行が好きだ。
たとえば10日間、ヨーロッパのどこかに旅行したとする。いちおう、仕事まわりの人たちには「毎日メールはチェックしますし、対応もできます。なにかあったらご連絡ください」みたいな一報を入れたうえで日本を発つのだけれど、まあ正直メールなんてほとんど見ない。インターネットも、ソーシャルメディアも、ほとんど見ない。見るとすればせいぜい「明日行く場所」の観光情報くらいだ。
10日間が過ぎ
オンラインとオフライン。
瀧本哲史さんの、あの本が届いた。
もともとぼくは、オンライン書店——具体的には Amazon——に寛容なほうだ。ひとりの読者として、町の書店にもお世話になっているし、Amazon にもたいへんお世話になっている。営業している場所が違うだけで、どっちも「書店」なのだと、ぼくは思っている。ことさら Amazon を敵視するつもりは、まったくない。
ないのだけれども。
こうしてカッキー&吉岡秀典さ
クラプトンの『パープルレイン』。
観た回数だけで言えば、いちばん好きなミュージシャンということになる。
ぼくにとってのエリック・クラプトンだ。この人のライブには、何度足を運んだことかわからない。けっこうな頻度で来日してくれる人だし、そのつど複数回、観に行っている。たしか前回の来日(2019年)は武道館5デイズで、そのうち4日、観に行ってしまった。
そんなクラプトンが前回の来日後におこなった母国ロイヤル・アルバート・ホールでのコ
このロックが解除できたらなあ。
縁起について考える。
やっぱり、ニュースの影響がおおきかったのだろう。きのう、身近なひとの訃報に接する夢を見た。夢のなかでぼくは友人たちと、何時間もカラオケボックスにいた。深夜もずいぶん過ぎて、お店を出たところでスマートフォンを確認すると、たくさんの着信が入っていた。あわててかけ直すと、身近なひとの訃報を知らされた。
縁起でもない話だと、ふつうに思う。同時に、「縁起でもない」のひと言によって遠
インタビューというより、おしゃべり。
ほぼ日・奧野武範さんの本が届いた。
タイトルは『インタビューというより、おしゃべり。 担当は「ほぼ日」奧野です。』という。ほぼ日でひときわ風変わりな、というか、ひとり独自路線で黙々とインタビューを重ねている奧野武範さんによる、インタビュー選集だ。もちろん「黙々と」ということばは、インタビューを形容するのにふさわしくない。けれども奧野さんのインタビューと、そこに臨む姿勢はどうも「黙々と」の語がふさ
カタカナのほうがいい場合。
クラスター、オーバーシュートに、ロックダウン。
俳句ではない。この数か月のあいだ、あらゆる場所で目にするようになったカタカナ語である。そしてなんとなくの流れとして、これらのカタカナは評判がよろしくない。聞き慣れないカタカナでしゃべらず、日本語で言え、というわけである。つまり、クラスターは「感染者集団」、オーバーシュートは「感染爆発」、ロックダウンは「都市封鎖」。日本語でそう呼んだほうがわかりやす
わたしの好きを、好きに語ること。
たぶん、高校生のころだったと思う。
なにかの雑誌で、「桑田佳祐の100枚」みたいな特集記事があった。桑田さん自らが選んだ「わたしをつくった100枚」だ。ビートルズやローリング・ストーンズ、ビーチ・ボーイズ、エリック・クラプトン、リトル・フィートなんかが入ってくるはもちろんのこと、たとえばスクリーミング・ジェイ・ホーキンスだとか、エラ・フィッツジェラルドだとか、あるいは坂本九さんだとか、なかなか「
会社ってなんだろう。
会社のシールをつくった。
ぼくと田中さんのふたりしかいない会社で、これといって配る人もいない。ましてや意識高い系のスタートアップでもなく、ノートパソコン等にシールを貼りまくる趣味もない。
そんなぼくらがシールをつくったところでしょうがないだろう、恥ずかしいだけだろう、と思っていたのだけれど、ノートパソコンを新調したのを機になんとなく会社のシールをつくってみた。
今度は白地に青文字で、つくって
タイトルが思いつかない。
■ 何十年に一冊の本。きのうようやく、横尾忠則さんの『タマ、帰っておいで』を読むことができた。完全に打ちのめされた。昼過ぎに読んで、それ以降、もうまったく仕事が手につかなかった。
「こんな本、これまでにあったっけ?」
思い浮かんだのが、荒木経惟さんの写真集『センチメンタルな旅・冬の旅』だった。あの写真集が発売された90年代、アートに関心のある友だちの家にあそびに行くと、かならず——そしてちょっ
まったくあたらしい宗教画。
きのう、毎日新聞の電子版でこんな記事を見かけた。
会員限定の有料記事なので全文読めない方が多いと思うけれど、
■ 新型コロナウイルスの感染拡大と休業要請を受けて、全国各地のライブハウスが危機に瀕している。
■ そこで音楽の街・博多では地元ミュージシャンが先頭に立って「新型コロナから博多のライブハウスを守りたい!」というクラウドファンディングを開始している。
■ その想いに賛同した福岡出身の
ひさしぶりの、あかるい話。
ようやく、あかるい話ができる自分になった。
きのう、ひさしぶりにカッキーこと柿内芳文氏と話した。今月末に発売される瀧本哲史さんの本、『2020年6月30日にまたここで会おう』の話もたくさんした。今回は彼自身、かなりの手応えを持っているようだった。内容はもちろん、本を手に取ったときの装丁がすごい、デザイナーの吉岡秀典さんは最初から「これ」が見えていたのだと知って、あらためてその才能に敬服したと、語
これは合宿ではありません。
ふいに、ホテルに閉じこもって原稿を書いていたころを思い出す。
たとえ1泊や2泊の短い原稿合宿であっても、スーツケースを引いてホテルに向かう。資料となる本が10冊や20冊、そこには入っている。あとはそうだなあ。最低限の着替えと、パソコン、電源、ケーブル類。何冊かのノートと筆記用具。電動ヒゲ剃りにワイヤレススピーカー。だいたいそんなところだろうか。パッキングしている時点でちょっと、テンションが上がる
ぼくが失いたくないもの。
まるで、きょうの東京の空のような。
なんて凡庸な書き出しでお茶を濁すくらい、気の滅入る月曜日だ。土曜日と日曜日、ぼくは note を書かない。書くのは就業日だけ。そういうルールでこの5年以上、更新を続けてきた。昨日も、そして一昨日も、ネットにはほとんど触らず、犬ばかりに触れ、こころはずっと平穏だった。
けれどもこうして月曜日がやってきたわけで、これから5日間、またぼくは毎日なにかを書く。気が重
友だちと会えないさみしさは。
友だちについて、きのう考えた。
誰か特定の友だちを想ったのではない。「どういう人のことをぼくは友だちと呼ぶのだろう」と考えた。友だちという概念について、その自分なりの定義を、考えた。
考えて、考えて、いちばん納得のいく答えは、「自分」だった。友だちになかなか会えないことのさみしさは、「自分」に会えないさみしさなのだと、ぼくは思った。
どういうことか。
たとえば、ぼくの家には「ぺだる」という