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当たり前すぎてもう悩まない
この前、あるところで社会人3年目の人たちを交えたチームでミーティングする機会があって。
書籍ライターをしてると、わりと意思決定層と一緒に仕事することが多い。ということは自動的に年齢層もキャリアも「上」になる。
上の人たちと仕事するのは、当然、平熱な緊張感も伴うのだけどある意味、楽なところもある。なぜならハイコンテクストな文脈で話が進むから。なめてるとかではないですもちろん。
べつにそれが駄目ってことではなくて、経験値ややってることのレイヤーが上がれば、ある程度ベースの部分の話は「お互いにわかってる前提」で、その先の部分にフォーカスして仕事が進められる。
まあ、そんなのライター業に限らず、どんな業界でもあると思う。
で、基本のところを言語化せずに進められるのは楽なんだけど、「もうわかってるはず」の基本部分、ベースのところが実は進化したり変化してたとしたら、それはあまりよろしくない。
「上」の人たちは今さらそこを確認したり、言語化しないから「昔の前提」のままで進めちゃってるけど、ほんとはもうそれ違ってきてるのでアップデートしないとエラーが出る可能性あるよみたいなこと。
具体的にオープンには書けないことが多くて、まわりくどいのが申し訳ないのだけど、そういうのないですか?
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で、この前も「そうなんだよな」とあらためてベースの部分で、進化というか変化を確認したのだ。社会人3年目の人たちと話してて。
人間関係とかコミュニケーションの話。もうそれ自体は永遠のテーマなんだと思う。だけど、なんていうか「捉え方」のベースがちょっと違ってきてるんだなぁと。
社会人3年目の子たちは、こんなふうに言う。
「人間関係とかコミュニケーションで悩むのってもうあたり前だからとくになんとも思わない」
悩みが一周回った感じ。なんだろう。吹っ切れるとも違うし、諦めるとか達観でもない。
だから悩まないとかではもちろんなくて、ベースの捉え方。よほど個別にひどい話とかでなければ、たいていのことは「そういうのあるよね」だ。
悩むのがもう当たり前になってるから逆に特に解決したいという動機付けもされないし、深刻に悩むところまでいかない。
上司と部下、同僚との人間関係でも、上の人たちは「なんとかしたい」と思ってるけど、彼らはなんとかしないととか、なんとかしたいとまで思わない。そりゃ、永遠に分かり合えないわけだ。
それなのに「人間関係をよくしよう」とか「コミュニケーションスキル」をどうこう言っても響くわけない。
僕がミーティングに入ったチームのメンバーは、上の人たちも優秀というか常にコミュニケーションの質も量も高いので、そういう「前提の変化」もぐるっと理解してる。でも、まだまだそうではない「上」の人たちも多い。
という前提に立ってから考えることが必要なんだよな。