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書く航海に出るために

本当に書けるんだろうかと思うときがある。

noteもそうだし書籍ライティングでも。noteは毎日書いてる。それでも、どこかに「あ、きょうも書けたんだ」と薄っすら思ってる自分がいる。

そう言えばいま、note何日連続なんだっけ? 600日過ぎたぐらいから忘れた。これ、ほんとそうなんだけどある日数を超えたら何日でもそんなに変わらなくなる。

書籍ライティングも100冊以上書いてるけど、毎回、ちゃんと校了して印刷所に回って見本誌が出来あがって「あ、今回も書いたんだ」と、どこか他人事のように思う自分がいる。

これは慣れなのか、なんなのかわからない。もしかしたら、最初数冊手掛けたぐらいならもっと何か感じるものがあるのかもしれない。

書き終わって「書けたんだ」と思う一方で、書きはじめる前は「本当に書けるのか」と思う自分がいる。

なんだろう。小さな手漕ぎの船で茫洋とした海を目の前にしてるような状態。見渡す限りの水平線。どこにも自分のたどり着けそうな陸地も見えない。

それでも船を漕ぎ出す。岸から離れてしばらくは、何とも言えない重たさが櫂から伝わってくる。潮の流れが感じられないからなのか。櫂の漕ぎ方に身体がまだ馴染まないからなのか。

ただ、だからって岸にUターンして戻ることはない。仕事だから当然というのは大前提だし、それ以上に「そういうものだ」とわかってるから。

もしかしたらすごいスーパーミラクルに才能がスパワールドからどばどば湧き出て才能汲み放題なライターなら、岸から離れた瞬間からジェット水流の勢いで書き進められるのかもしれない。

なんなら船どころか、テレポート的な何かで書きはじめた瞬間に書き終わってる。そうなれたらいいのだけど、どうやら今世では無理そうだ。

だから毎回「書けるんだろうか」を感じながら書き進む。

ライターなのに? いや、ライターだから「書くこと」はあたり前じゃないと思ってる。

ライターに限らず、自分の存在、自分のアティテュード、自分の向き合い方なんかがそのまま「つくるもの」「生み出されるもの」に映し出されてしまうものを職業にしてる人なら、みんなどこかにそういうのがあると思う。

これ、ほんとにつくれるんだろうかみたいなのが。

そこだけ切り取ると「そんな自信なくていいの?」「仕事に失礼じゃない?」みたいに思われるかもしれないのだけど、そうじゃないんだ。

むしろ逆。本来の意味での自信は持ってる。仕事に対して真摯でありたいのも同じく。だから毎回、ちゃんとリセットするのだ。手癖だけで書いてしまったりしないように。

これも言語化しづらいのだけど、刻み込んできた本当のスキルってそんなに簡単に消えない。だからそっちは日々のトレーニング、文章のエチュードで「つかめる」ことを意識してやる。

本来の自分のスキルをちゃんとつかめてないと、手癖だけで書いてしまったりする。そういう文章は上滑りしがちだ。

スキルがあるのに自分でつかめなくなるのはプロでも起こる現象だから、そうならないように。いつでも「つかめる」感覚があるのは「自信」になる。

その上で、毎回、仕事に対してはリセットする。自信をベースにしたリセット。経験的にそのほうが新しいどこかに上陸できるのだ。

そんなふうに僕は日々、文章の海に漕ぎ出している。

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村暮らしのライター/エディター Editing and Book Writing/人とことばと土を耕して生きてます。東京⇄信州。noteでは大事じゃないけど大事なことを。何をしてるかより「なぜしてるか」の深い話を聞いて書くひと→ https://fumigura.com/

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コメント (2)
『だから毎回「書けるんだろうか」を感じながら書き進む』

安易に使いたくないけど、今日は使わせて下さい(しかも丁寧語)。
めちゃくちゃ共感します。ぼくは「描く」ですけど、初めは不安しかない。終わったときの「描けたんだ」という思いと自信とリセット。

最初の一文字から最後の一文字まで、
染み入りました。
この世界のどこかでこげちゃんも(フランク)そんなふうに感じながら
向き合ってるんだなって思ったら、自然に襟正したくなります。

「一日一生」って言葉ともシンクロしました。
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