人はいつ自慢するんだろう
自慢をしたことがない。少なくとも生きてきた記憶の中では。
そんなこと言って知らないところでやってたら、それはもう大惨事なんだけど。今すぐ穴を掘って入らないと。
一応、僕のことをいちばん近いところで見てる妻にエビデンスを取ってみたら「してるとこ、見たことないね」ということだったので、たぶんきっとしてないと思う。
だけど、それが「いいこと」だとも思わない。世の中には「正しく自慢」できる人だっている。マウンティングにもならず、ただの「事実」として自分がやったことを風のようにさわやかに話せる人(稀少だけど)は素直にすごいなと思う。
たしかに、たまにすごいこと言ってるのに本人にもその自覚なくて、聞いててもこっちまでいい気分が伝染してくる人がいる。天使ですか。
逆に「自慢って何もないんですよね」を不必要に強調すると「なんだよ控えめ自慢かよ」と、あらぬ方向に逆マウンティングが発生しかねないので、それはそれで面倒だ。
まあたぶん、嫌味にもならずさわやかに自慢できてとくにあとに何も残さない人は、そもそも「これは自慢なんだろうか」とも考えないんだろう。
自慢とは何か、したほうがいいのか、そうじゃないのかみたいなことを考えてる時点で「違う」のだ。
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すごくメタ的な視座から眺めてみれば、たぶん僕の周囲にも「自慢」に使えそうなネタなのか事実は転がってるんだと思う。それらを認識しているか、と言われると「してない」が答えだ。
あー、そうか。自分で書いてて思ったけど、自慢素材をそもそも認識できてないのだ。だから自慢のしようがない。なんてこった。
正直に言えば、昔は「自慢」を意識的に避けてた部分がある。単純にカッコ悪いと思ってたのだ。20代の頃とかは。何でも単純化したがるところが若いなと思う。
してもいい自慢とそうではない自慢の区別もついてなかった。だから全部まとめて「自慢」を遠ざけてたのだ。
最初に制作職で入った会社では、やたら社内外のコンテストにエントリーすることが推奨というか義務化されていて、そこで賞をもらうと物理的なトロフィーや盾(?)がくっついてきた。
人によってはそれをデスクの上に並べてたりしたけど、僕は「なんか違う」と思ってデスクの下に放り込んでいた。捨てるわけにもいかないし。そもそも、それってどうやって処分するんだろう。何ゴミ?
あるとき、落とし物を探すのか何かでたまたま僕のデスクの下をのぞいた誰かが、机の下で山奥の祠みたいにトロフィーや盾が塊になってるのを見て「ひっ」と声を上げて制作チーフにばれてしまったのは心温まる思い出の一つだ。すみませんでした。
だけど、いまはライターという仕事(に限らずだけど)をしていると、必要最小限の自慢力は、仕事上必要な人にわかりやすく気づいてもらうという意味で持ってたほうがいいんだろう。
そうでなければ、あまりにもいろんなものが多すぎて埋もれてしまう。それではなんていうかお互いにもったいない。
そこまではわかってる。だけどなぁ。なにかスマートな自慢というのを身に付けたほうがいいのか。そこがわからない。