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東武東上線はなぜエモなのか

ちょっと前、あるnoteが僕の中で話題になった。

こげちゃ丸さんの『金曜日にさようなら』という掌編。名作揃いの #金曜ビター倶楽部 の中でも個人的に好きなトーンが全編に流れてる。

金曜日の深夜に漂う「あの空気」が好きな人はぜひ読んでみてほしいのだけど、こげ丸さんとTwitterしてる中で彼がふとつぶやいたことばに捕まった。

都心に比較的近いのに、改札からホームまでスロープで繋がっているような小さい駅に弱いんですよね。

それな案件だ。僕も弱い。それだけでキュンが発生する。ちょっと何言ってるかわからない人もいると思うけど、安心してください。

ネタバレになるので流れは書かないけど、『金曜日にさようなら』の中で「駅」がすごく意味深い場所として出てくる。

いや、そんなの駅なんて昔から数々の物語装置として登場してきただろというご指摘もあろう。新聞論説口調。そうじゃないんだ。もう一度、思い返してみてほしい。

都心に比較的近いのに、改札からホームまでスロープで繋がっているような小さい駅。何か「落差」を感じないだろうか。

ふつうは都心に比較的近い駅は、それなりに駅も「箱」としてのキャパシティを備えている。利用客も多いから。

人がたくさん行き交うのだから駅ナカまでいかなくても、改札からホームまでの間にはコンビニっぽいのやコーヒーショップやベーカリーが入ってたり、商業施設がなくても階段や通路を歩かないとホームにたどり着かなかったりする。

なのに、そういう「箱」としての機能がいっさいなく、ただ改札からスロープでフラットにホームに出れてしまう大都会の駅。

ああ、もうなんかそれだけで尊い。何が尊いのか。人間の感情がそのまま駅のホームに流れ込むからだ。

だから東武東上線の駅は尊い。大ターミナルの池袋から出ていて都心に比較的近いのに改札からホームまでスロープで繋がっている昔ながらの駅が多いんだ。

いまの都心の駅のほとんどは、人間の感情という点ではノイズが多すぎる。経済ノイズも情報ノイズも。もちろん、経済合理性の点ではそれでいいし、利用客もいろいろ便利な駅のほうがいい。住みたい街ランキングにだって駅の利便性は関わってくる。

けど、そういうのではないもっと原始的で根源的なところで、人間の感情を動かす駅の価値みたいなのもある気がしてる。

端的に言えば「恋愛を生む駅」としての価値。恋とか愛とかの感情が動きやすいエモい駅ランキングがもしあったら密かにランキング上位に入りそうなのが東武東上線の駅と勝手に思ってる。

ほら、改札からホームまでスロープで平面で恋の障害物なんてないから、終電近くの電車に追い付いてふたりの距離も近づけるよ。恋愛のコスパがとか、恋愛めんどくさいとか言われてるけどそうじゃないんだ。駅の構造の問題なんだ。

東武も野田線をアーバンパークラインとか言ってないで東上線は「恋愛胸騒ぎ線」とか愛称にすればいいのに。しょっちゅう恋の信号トラブルが発生しそうだけど。そしたら池袋は愛の終着駅になるんだろうか。

くだらなすぎて引かれてる気もするけど、まあだいたい仕事の合間にそんなことを考えてる日常。

あと、東上線はまあまあ本線感があるのに本線ではなく、他の東武線のどこともつながってない。孤高の路線。管理主体も違ったり歴史的経緯がいろいろあるらしい。東武グループだけど名前だけ使わせてもらってる感。そういうところも含めて好きなんだ。

やばいな。これはそろそろ東上線エモを題材にした恋愛小説誰かnoteで書いてもいいんじゃないか。で、それをまた別のnoteクリエイターが映像化する未来。

テーマ曲は「もうええわ」で。