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生きたいことを生きればいい

ようやくあたまの中が少しクリアになった。とくに何かしたわけではないんだけど。

あえて言えば「何もしない」をした。元日に何もしない。

早朝、初詣に行って「あひるのおみくじ」を引いて(この神社は毎年何か新作おみくじがリリースされてる気がする)、お雑煮を食べて、うちで採れた栗とさつま芋でつくった「くりきんとん」が、ほぼモンブランの味になってたのを不思議な気持ちでいただいて、あと林道で焚き付け用の枝を拾って歩いた。

それぐらいしかしていない。心が休日ってこういうことを言うんだなと少し新鮮な気持ちになった。

そうしたら、ようやくちょっと「言葉」が出てくるようになったのだ。やらなければいけないことに覆われて思考の酸素が薄くなると、ほんと「言葉」が出てこない。

言葉を食べて育てて生きてるので、言葉がちゃんと出てこないのは死ぬ。

ああ自分って良くも悪くもそうなんだな、というのを知れたからよかったのかもしれない。1日だけど休んでみて。

人って、案外、自分のことをちゃんと知れてないのかもしれない。やるべきことや周りが認めてくれることに時間を使うのを追っかけて。

自分をもっとちゃんと知る。自分探しとかふわっとしたのではなくて。

べつに面倒くさい話じゃない。自分をちゃんと生きるをするだけのことだと思う。

どこかから持ってきた「したほうがいい」とか、これやっといたほうがみんなのウケがいいとかじゃなく「自分のためにこれやっておきたいな」「自分が喜ぶから」というシンプルな動機でやれることの先に「自分」がある。

ときには、そうやってちゃんと知ることのできた「自分」が、ちょっと変なものだったりするかもしれない。そんな人あんまりいないよねと否定的に言われるような。

それでも自分が本当に楽しいならそれでいいんだ。一般受けしてもしなくても、コンテンツとして弱くても。

そんなことを考えてたら、Bさんの記事がシンクロしてまたちょっと自分が回復した。

わたしの人生はわたしのものだ。ほかの誰にも左右されたくない。ただ自分のために、生きていきたい。ネタにまみれた人生かもしれないけど、それをどう使うかはわたしが決める。

108万回頷いた。ほんと、そうだと思う。もっとみんな自分勝手に生きたらいいんじゃないか。

そんなことを言うと「自分勝手な人が増えたら、迷惑!」という矢が飛んでくる。

自分勝手はダメ。なんで、みんなと同じようにできないの? 自分だけ違うことしたら周りは迷惑とか。どっちかというと「自分勝手」は社会規範から外れたダメな人の文脈になりがちだ。

でもね、それ違うよ。

本当にちゃんと自分勝手に生きられたら、それは自分で責任を持てる本物の自分勝手だから、べつに他人に迷惑もかけない。なんなら自分勝手にちゃんと生きてる人のほうが誰かのために何かできたりもする。

自分をちゃんと知ってて、自分人生をちゃんと生きられる人がやるのが「自分勝手」だから。

自分を知らない人間がただ好きにやりたい放題なんじゃない。そういうのは、たしかにただの暴走になる。迷惑もかけてしまう。

古典的なメソッドだけど「守破離」と同じ。基本は身に付いていて、自分はこれだったら破れると思える部分で行動して「離」=「自分勝手」をするのだ。

そういう人の自分勝手はむしろ、周りにも新しい気づきとか新鮮な風をもたらす。

もっと自分勝手で、生きたいことを生きてる人のnoteがふつうに読める。そんなことになればいいな。