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淡路島の玉ねぎが僕をライターにした

淡路島の玉ねぎがなければ、いまの僕はなかった。

意味のわからないことで知られている(そんなに知られてません)僕のnoteだけど、いくらなんでもそれはないと思われるだろう。

だけど本当なのだ。淡路島の玉ねぎがなければ、少なくともこうやってライターとして生きられてはいない。感謝しかない。

遭難したときリュックに入っていた玉ねぎをひたすら食べて助かった――わけでもない。携行食なら他のものにしたほうがいい。玉ねぎ10個は重いし皮をむくと涙が出る。

どういうことなのか。時は平成に遡る。ふぃーーん。タイムトラベル的な何かで遡った。

         ***

とあるメディア系企業の打ち合わせルーム。窓からは他のオフィスビルで働く人たちの姿が小さく見えた。まるで透明なケースで蟻が働く様子を観察できる巨大なキットみたいだ。

向こうから見れば自分もそう見えるのかもしれない。ただ、様子が違うのは他の人たちは、せわしなく行き来して誰かと話し込んだり、手に何かを持って別の部屋に移動したりしてるのに、僕は打ち合わせルームに独りきりということだった。

なぜ、僕は独りなのか。選考課題に取り組んでいたからだ。いろいろとあって同級生から1年遅れのイレギュラーな就活。先輩から「ここに入れば1年で3年分成長できる」と聞いてたのを真に受けてエントリーしたのだ。

書類選考があり、何か筆記試験とSPIっぽい検査を受け、人事の一次面接があった。どんな試験の中身でどんなこと聞かれたのかは「まったく」覚えてない。そんなものだ。

一次面接後しばらくして人事から、ある情報誌の編集長との面接をセットしたので来るようにと連絡があり出向いた。二次面接ってやつだ。

なんとなく制作系の希望は出してた気がする。なのに、なぜか編集長の面接を受けなさいという。その当時の僕は編集系の仕事が具体的に何をするのかなんてわかってなかった。そんなものだ。

編集長はイメージ通り無精髭を生やしていて、僕は「おお」と思った。ボサボサの髪でラフなシャツ姿になぜかサンダル。雑誌や情報誌の編集長といえばそういうものだと勝手に思っていた。大変申し訳ない。

正直に言って、いったいなぜ僕が編集部の面接に呼ばれたのかもわからなかった。というより、その編集部が担当している情報誌の記事をまともに読んだこともなかったのだ。おい。

もしかしたら、深くは考えずに編集系も希望として出してたのかもしれない。重ねて申し訳ありません。

人事から「こんなやついるけど」と、話があった編集長が一応興味を持ってくれたらしい。

編集長との面接では「最近読んだ雑誌で気になった記事」を聞かれたので、あるネイチャー系雑誌で読んだ記事のことを話した。

「オーストラリアのカンガルーにとって水は貴重だそうです。水辺がない場合は、水分補給として親カンガルーが子カンガルーに唾液を与えるそうです」


つくってない。本当の話だ。僕は本当にその記事と写真を見て「すご」と思ったので話したのだけど、当然、編集長はそんなことを聞きたいわけじゃない。

そこからは素敵に微妙な空気で面接が終わった。たぶん、お互いに「なんか違うな」を感じたと思う。

なのでべつにうまくいかなかったショックもなく、しばらくして今度は制作部の部長との面接に来るように人事から連絡があった。制作部というのは、編集部とは違ってクライアントの広告を企画したり制作したり、コミュニケーションツールをつくるところだ。

さすがに今度は微妙な空気にしないようにしようと思い、自分なりにできるだけの準備をして面接に臨んだ。広告界に伝わる名著を読んで「広告制作において大事なこと」を考えてまとめたりもした。

吉田拓郎さん似の制作部長との面接が始まると、部長は「書ける?」と、いきなり僕に言った。

と、言いますと? という言葉が出かかったけれど面接で質問返しはタブーだ。ラーメン二郎のギルティと同じだ。

「あ、書けます」

あ、は余計だった。僕が言い終わるか終わらないかぐらいで部長は僕の前に原稿用紙を差し出し「じゃ、書いて」とだけ言い残し、部屋を出て行った。そうして僕は打ち合わせルームに独り取り残されたのだ。

これは何の儀式なんだろうか。ありきたりの面接ではないややこしい面接があったり、新人だろうが何だろうが「お前はどうしたいんだ」と問われるのは聞いてたけど、いきなり「書ける?」と聞かれて原稿用紙を渡されるのは想定していない。

だけど、そんなことを言っても仕方ない。選考なのだ。料理人が「つくれるか?」と聞かれて鍋を手渡されれば料理をつくってみせなければ話は進まない。それと同じだ。

何もお題が与えられてないということは、自分で考えて材料も用意して料理しろ、それも含めての課題なんだろう。

何を書けばいいんだ? 僕は椅子をくるっと回転させて窓を向いた。窓の向こうにはいくつものオフィスビルがあり、いろんな人たちがいろんな仕事をしていた。

そうだ、この人たちから遠いものを書こう。ふと、そう思った。そして思い浮かんだのが「淡路島の玉ねぎ」だ。なぜそれなのかはわからない。とにかく降ってきたのだ。

きっと、いまこの窓の向こうで働く人たちの中で「淡路島の玉ねぎ」について考えてる人は誰もいないだろう。僕だって考えない。だから書いた。

仕事に疲れたら、淡路島の玉ねぎに会いに行こう。そんな広告だ。中身はたいしたものじゃなかったと思う。原稿用紙だけど、一応、デザインラフも書いておいた。

オフィス街に時空が歪んだ大きな玉ねぎがドンと置かれてる。ありがちなやつだ。

とにかく僕はそんな広告原稿を書いた。書き終わったタイミングで部長が部屋に戻ってきて「書けたか?」と言った。

僕が部長に原稿用紙を渡すと、部長はぱらぱらと原稿を見て「じゃ、いいよ」と言い、僕は部屋を出た。いったいどこが二次面接だったのか。部長の貴族の遊びに付き合わされたのかもしれない。

         ***

いろいろ謎は残ったけれど、結果的に僕は採用され、制作部の研修部署みたいなところで2週間ほどの研修を受けて広告制作の基本や入稿の仕方、KPIだかKYKだかの指標を叩きこまれて支社の制作チームに配属された。

そこで僕は広告コピーと音楽の師匠に出会って新人賞をもらったりするのだけど、その話は今回関係ない。

あのとき「淡路島の玉ねぎ」が降ってこなければ、そしてそれを「書こう」と決めなければ僕はいまライターをやれてないことは確かだ。

人生にはそういうことがある。僕の場合は、たまたまそれが「淡路島の玉ねぎ」だっただけで、人によってはもっと素敵なものだろう。

でも僕は「淡路島の玉ねぎ」でよかったと思う。自分に合ってる。おしゃれでもなんでもないし、人生を変えた出会いとして華がなさすぎる。だからドヤ顔で誰かに話すこともない。

そんなわけで僕にとっては玉ねぎは神なのだけど、さすがに淡路島の玉ねぎを祀るわけにもいかないし、スマホの待ち受けにもできない。

その代わりに『551の豚まん』を関西に行くときは必ず買う。あの旨味と甘味は「淡路島の玉ねぎ」そのものだから。

仕事に疲れたら、淡路島の玉ねぎに会いに行ってもいいし、無理なら『551の豚まん』を買おう。何が人生を変えるかなんて誰にもわからないのだから。