インターネットで学んだ狂気と正気と
インターネットの世界にかれこれ20年ちょっと浸かって学んだことがあった。
生まれて初めてネットの海をちゃぷちゃぷ浮き輪付けて漂ったのはWindows95だったと思う。いまから思うと、そんなの本当にあったっけ? 夢?ぐらい現実感がない。
もしかしたらMacだったような気もする。FirstClassというグループウェアを使ってた遠い記憶がある。もちろん、ダイヤルアップで「ピーヒョロロ……ガガガ」のメロディを聞きながら。
まあでも、そんなインターネット老人会の話はどうでもよくて。
思うのは、ネット社会になって「人」ってこうなんだなぁがよくわかるようになったことだ。
「分人」の概念なんてまさにそうで、人っていろんな面を持っていて、どれもが「その人」なのだ。
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ネットの世界でマッドネスなこと書いてる人ほど、じつは人のこころのピュアで柔らかい部分を持っていて、一見まともなことを発信してる人のほうが案外リアルの狂気を閉じ込めたり隠し持ってたり。
あるいはその両面を器用に発信してる人だっている。
こういうこと書くと変なものが飛んで来そうだけど、まあ感覚的にはそんな気がする。もちろんみんながそうじゃないけどね。
そんなのネットのなかった時代だってそうだろ、と言われればその通り。
なんだけど「人の持ついろんな面」が可視化される、あるいは「自分の持つ面のどれか」を使って、そこだけの関係性がつくれるというのはネット以前の世界では、なかなかハードルが高かったと思うのだ。
だって、たとえば「ネカマ」を現実世界でやり切るって難しくないですか?(ジェンダー的、セクシュアル・マイノリティ的な意味合いではないです)
結局、ネットを通して何を学んだのかと言えば「いろんな人がいる」ということに尽きる。僕だってその「いろんな人」の一人だ。
人なんて世の中では絶対的なものでなくて相対的なものだから、ある人から見ればいい人なのが、別のある人から見ればゲスいことだってある。
いろんな人がいるんだから、いろんなことが起こる。きっと、これまでもそうだったし、これからもそうだろうなと思う。そこはもう、そういうものだと思うしかないんだろうな。
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いろんな人の中の「いい人」とつながれば、なんだか自分のHPが回復するし、そうじゃない面に触れればHPが消耗する。
でも、これはネットの世界だけではなく、自分自身の世界でも同じかもしれない。自分の中の「いい部分」を出せれば控えめに言っても、なんだってできそうな気がするし、そうじゃない部分が出てしまえば自分で自分に消耗する。
ネットのおかげで、それがよくわかるようになった。
自分の中にだって狂気も正気も持った「いろんな人」がいるのだ。