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もういい加減、値段で考えるのをやめてみる

1円でも安い方が幸せというのは幻想かもしれない。
いきなりの投下であれなのですが。

仮に100円のものを10個買っても、それほど満たされ感がなくて結局、また同じように100円で満たされないものを買い続ける生き方ってどうなんだろう。

それなら500円のものを1個だけ買って満たされ感があるほうが結果的に「コスパがいい」ということもできますよね。

限界効用で考えるべきものなのかどうかは置いておいて。
なんで、こんなことを書いてるのかというと、なんだろう。


安くて優秀とか、安い割にクオリティ高いとか、結局いろんな価値基準の前提が「安い」に置かれることによって、不毛な足の引っ張り合いが生まれてるんじゃないかと最近すごく思うんですよ。

うちはこんなに安くしようと努力してるのに、あいつ結構いい値段付けやがってみたいな。コスト削減努力って言葉が美徳みたいになって、結果、なんかがんばってるけど返ってくるものには手応えがない。

これって立派な「消耗」じゃないですかね。

みんなが1円でも安いものを求めてる(と考えてしまう)→1円でも安くつくるために死ぬほどがんばる→他も1円でも安くの競争が始まる→1円でも安いものが売れる→ほら、やっぱり→もっと安くしようぜ→あれ、なんかしんどいんだけど……

じゃあ、どうすればいいのか。
 

答えはわりと簡単で、最初に値段を見ない!
以上。


えっ? ていう反応が今、光の速さで飛んできましたが、ぼくは最近そうするようにしてます。有料noteでポチるのもそうだし、リアルの買い物でも。これいいと思ったら買う。いいと思わなければ買わない。シンプルにそれだけ。

500円だからどうしようかな、250円だったら買うんだけどなーという思考は、そのもの自体の価値を考えてるようで、実は「お金」のことを考えてる。言ってることわかってもらえます? 

モノでも何でも、そのもの自体の価値は、それを「いいと思う人の中にある」もので、値段やお金の中に発生するものじゃない。

じゃあ、お前は1億円のものでも値段を見ずに買うのかーーって怒られそうですが、もしももしももしも本当に肚の声で「これいいわー今すぐ引き取りたい!!!!!」って本気で思ったら「買いますっ!」て言うと思う。

「買います!」と実際に「買えるかどうか」は別問題。そりゃ、買えないもののほうが多いです。でも、まず何でもかんでも値段から考える習慣を変えて、「自分がいいと思うかどうか」で考えてみる。

それだけで、いろんなことが少しは消耗しなくなるんじゃないのかなぁ。