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彼女に食べられた町と僕らが食べ残した町と

東京には食べたい町がない、というのが女友達の口癖だった。

僕は、そんな女友達に付き合っていろんな町を食べに歩いた。人気の店を訪ねる「食べ歩き」ではない。彼女が食べたいのは「町」そのものだ。

新宿の町は、なぜかどこもトンカツの味がしたし、神田は路地裏にまで薄いおでんの出汁のような味が染みていて、下北沢の町はファミレスのメニューを出鱈目に混ぜ合わせたみたいな味だった。


「ね、言ったとおりでしょ。どこも、おいしくないの」

23区の最後、江戸川区を食べ漁ったあとで女友達は僕に言った。

「正直、ちょっと期待してたんだけどね。なんか海も近いし、いい素材の味がするんじゃないかって」

僕は、口なおしのガムを噛みながら言った。いくら噛んでも、岸壁の古タイヤを煮詰めたような後味が消えなかった。

「やっぱり東京で食べていこうっていうのが無理なのかも」と言いながら、川べりの鉄橋の下で女友達は遠い目をする。

その透き通った目の向こう側に何が見えているのだろうと僕は思う。いつか、言っていた彼女の故郷の北海道の町が浮かんでいるのかもしれないと思うと、僕は自分が何か間違ったことをしているような気持ちになった。

「帰りたいと思わないの?」という質問には、彼女はいつも「帰ったって誰もいないし」とだけ答えた。

もしかしたら、と僕は思う。こうやって東京中の町を食べ物を求めて彷徨いながら、何かもっと別のものを彼女は探しているのかもしれない。僕の知らない何かを。

        ***

「ねえ、お腹空いたね」という彼女の頭上を電車が轟音を立てて走り抜けていった。

「あれに乗ってみようよ。きっと、どこかおいしいものが食べられる町に行けるかもしれない」

僕は、あまり乗り気ではなさそうな女友達を引っ張って、鉄橋の梯子を見つけて高架の壁伝いに駅へ向かう。構内関係者以外立ち入り禁止と書かれた柵をすり抜けて駅に入り、保線用の階段を上ってホームに辿り着くと、ちょうど電車が滑り込んできた。

女友達が先に電車に滑り込み、僕が乗ろうとしたとき、誰かが悲鳴をあげた。

「ドブネズミ!」

僕らを見て目を見開いた乗客が叫んだ。やばい。女友達が誰かのリュックの後ろに隠れたのを見た瞬間、電車のドアが閉まった。

僕は、電車を追いかけ、線路に飛び降りて走った。電車がどんどん小さくなり、息が上がる。目の前の架線の上に広がる鰯雲が滲んでちぎれていく。

この雲だって、彼女と一緒に見たらきっとおいしそうに見えるのに。

汗と涙でふやけてしまった雲を追いながら、それでも僕は走り続けた。