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活動写真というタイムマシンに乗ってほしい

無音の映画って観たことありますか? 僕はなかったです。この前、初めて観ました。現代の尖った演出でとかではなく、本当にサイレントな映画。結論からいうと、変でまともな時代に連れて行かれました。

無声映画、サイレント映画(サイレント・フィルム)とも呼ばれますが、100年以上前の映画黎明期には、音楽や声の台詞がない映画が標準だったんですね。台詞は字幕だったり。

それならシーンとしてるのかというと、そんなことはなく。なぜなら「活動弁士」「活弁士」という名の生身のナレーターが映画の脇に付いて、場面の解説というかナレーションをするからです。

活動弁士って、なんでそんな呼び方をするのか。

明治から大正期、映画と言う名称が一般的ではなかった頃は、これまで動かなかった写真が動く(映画ですからね)から「活動写真」「活動大写真」とも呼ばれてました。そんな活動写真の弁士だから活動弁士、活弁士。

なんかいいですよね。写真が活動してるとか、活動の弁士とか。

この「サイレント映画+活動弁士」というスタイルは、ほとんど日本独特の文化らしく、当時の上演では、ここにさらにオケピットの楽団が加わってリアル演奏サウンドトラックも流れてたのだとか。なにそれ、楽しすぎませんか。

まあ現代では普通に、映像と一緒に台詞も地の音も効果音、劇中音楽もスクリーンから流れてくる(正確には音響設備から)わけですが。

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今回観た作品は小津安二郎監督サイレント時代の人気作の一つ『出来ごころ』。活動弁士はカルトなアニメから正統派の無声映画の仕事まで手掛けてしまう坂本頼光さん。

一般の興業ではなく、1日限りのクローズドな上映だったのですが、最高だったのは映画館です。上田映劇という1917年(大正6年)創業の空間。ここの歴史と紆余曲折を語り始めるとそれはそれで物語なのでやめときますが、この空間、まあ時代ほぼ止まってます。

リアルに活動写真、サイレント映画が上映されていた映画館の空気を吸いながらでサイレント時代の小津作品を活動弁士付きで観られるなんて。

現代のデジタルなエフェクトが全部入りの映画と比べたら(比べる必要ないんだけど)古すぎて退屈なのでは? と思う人もいるかもしれないんだけど全然そんなことないです。いや、むしろ本来の意味で斬新。

なんだろう。台詞の声がない分、声に引っ張られないというか。逆に物語に奥行とかいろんな感情のレイヤーが重なり合う。全然、うまく説明できてないですが、ちょっとない映像世界に入れるんですよ。個人的には結構ツボ。

今の映像とか物語の世界って「わかりやすさ」が求められるので、そこに寄せて台詞もとにかく「感情的(本来の意味とは違って)」で、たまにうるさいだけのときがあったりします。そんなとき、音を消してミュートで映像だけ流して観ると、意外に物語として入れるのと似てるかも(たまにやります)。

あと、あの時代の映画俳優さんたち、ちゃんとしたイケメンと美人さんが出ていてすごい。

『出来ごころ』の主人公の相棒役、次郎を演じた大日方伝さんは2019年にスクリーンに出てきてもたぶん撃ち抜かれるし、ヒロインの春江役、伏見信子さんも底知れなさがゾクッとします。

人間の物語って、基本的には哀しいだけもないし、おかしいだけもない。

哀しみの中におかしみもあるし、おかしみの中に哀しみもある。そうだよな、仕方ないんだよなぁという人生のどうしようもなさがサイレント映画だからこそ浮かび上がってくる感じ。

人間の存在そのものが最大の娯楽であり、いいこともそうでないこともすべての根源だった時代。

なんだか今って、そんなふうに「人間」が見えづらいから、サイレント映画がタイムマシンになって「人間」がリアルに生きてた時代を見せてくれるのかもしれないです。いいですよ、サイレント映画。たまには。