写真_2013-11-12_6_18_54

ちょっとずつ間違ってる人になりたい

世の中には2種類の人間がいる。よく間違える人と、ほとんど間違えない人だ。

ちなみに、この「何でも2種類分類法」は、それ言われると萎える人が結構いるので使うときは慎重さが求められる。

問題なのは2種類では足りない場合だ。

世の中には2種類の人間がいる。俺か、俺以外か。これは足りてる。
ふつうの最中か、切腹最中か。これはたぶん足りてないし、そもそも人間ではない。ちなみに切腹最中はそのキレ気味のネーミングとは裏腹にちゃんとおいしい。

話を戻そう。「よく間違える人と、ほとんど間違えない人」の2種類では足りてない。

なぜなら、僕はどっちでもないからだ。しょっちゅう間違えてたらライターとして致命的だし、ほとんど間違えないかというと厳密にはそうも言えない。

ひどく間違ってもないし、こいつ完璧すぎるわと思われるほど間違わない人でもない。それに、ひどく間違ってて許されるキャラにもなれないし、完璧すぎる人になりたいわけでもない。

僕が、いいなと思うのは「ちょっとずつ間違ってる人」だ。これが、難しい。

         ***

ちょっとずつ間違ってる人は、前提としてある一定レベルは超えてなければいけない。

料理で言うなら、調味料の醤油とコーラを間違えて使ってしまい、一口食べて「マズ……」となるのではダメなのだ。そんな人はいないし、意外にコーラは万能調味料なのでそこまで不味くはならない。豚の角煮をコーラでつくるとおいしい。キャンプ飯だ。

そういうことではない。8~9割はかなり高いレベルで物事を進められるのに、なぜか残りの部分で「えっ、そっち?」という方向に行ってしまう人。意図的、無意識に関わらず。

そういう人のつくるものは、たしかに「欠点」だったり「欠陥」があるし、実用的じゃなかったり、扱いにくかったりするのだけどなぜか存在感があるし惹かれる。

物理的なものでも、何かの文章でもちょっとずつ間違ってる。だけども、その間違ってるが褒め言葉になるぐらいの人だっている。才能だと思う。

ほとんど間違えないけど、それ以上でもそれ以下でもないものをつくる人より「ちょっとずつ間違ってる人」に僕もなぜかなりたいのだ。なんでだろう。