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断片的なものの取材学

『断片的なものの社会学』という本がある。控えめに言っても名著だし個人的にはスタッズ・ターケルの『仕事!(WORKING)』以来の衝撃を受けた。何度も読み返してる。

著者の岸政彦さんは「人の語りを聞く」スタイルの社会学者で、全然関係ないけど、岸さんが出演されたネコメンタリー『岸政彦と おはぎ』は胸が詰まった。

僕はそんなアカデミアな世界でも何でもないただのライターだ。

なのだけど「語られたけれど分析もされない」、話の本筋(テーマ)とは繋がることのないエピソードの「無意味さ」に、ときにこころが震えたり、そのどこにも生き場のない語りの〝断片〟をいつまでも大事に持っていたりするのはすごくわかる。

僕があるグローバルな企業の元経営者を数か月に渡って取材したときのことだ。

仮にA氏とする。A氏は高校から南米に渡り、わかりやすいぐらいの日本人差別も経験しながらアメリカの大学を出てITの世界にもどっぷり浸かってきた人物だ。

アメリカ人が使う「本音」と「建前」も瞬時に見抜いてコミュニケーションできる、まあなんというか本物のグローバルな人である。

数十回に及んだ取材も終わり、あるホテルのラウンジで補足取材的なことをしていたときだった。


A氏が「アイルランドでmedium(霊媒師)に会ったんだ」とポツリと言った。

おそらく、その前のくだりで「ものの見方」についての話をしていたような気がする。けれど、どう考えてもアイルランドの霊媒師とは話のつながりがなかった。

「聞きたい?」
「ええ、聞きたいです」

ランチタイムは終わってティータイムに入る時間帯特有の、どこか緩んだ空気の中で、小さくカップを置く音がラウンジに響く。

「日本から来たっていう二人連れの婦人が、その霊媒師を僕の前に連れてきた。僕が出張で訪れてたパブに突然にね。その婦人方は、この霊媒師の女性があなたを探してるので、きっとここにいると思って案内したって僕に言って去ってった」
「知り合いだったんですか? そのご婦人」
「全然」
「じゃあ、なんでAさんがそのパブにいるって? それにそのご婦人もAさんのことをどうして知ってたんですかね」

「わからない。I don’t know.だよ。だけど、なんとなく僕はその霊媒師が気になった。座ってもいいかと言われて、僕がいいよと言うと、彼女は目をつぶったんだ。それから10分ぐらいじっと目をつぶって僕を見てた。
 それからゆっくり目を開けてこう言った。あなたのおじいちゃんに会ってきたって」

「おじいちゃん?」
「僕の祖父。僕が子どもの頃に亡くなってるけどね。あなたのおじいちゃんは、海運会社に勤めていて船乗りをしていたっていうんだ。その通りだったから驚いた。それだけじゃない。僕が祖父にとって初めての男の孫で、僕のために日本刀を買って飾ってたことも知ってた。そんなの僕は誰にも話したことないしね。これは本物だなと思ったよ」

明らかにそのときのA氏の語りは、それまでの取材での語りとは何かが違っていた。だからと言って、この話がすごく重要な意味を持っているから話すのだという感じでもなかった。

「ひと通り祖父について話したあとで、彼女は僕の今後についてアドバイスがあると言った。髪は短くするな、スキンヘッドは絶対駄目だとか」

「それ、アドバイスですか?」
「そうらしい。でもいちばん大きかったのは、もっとあなたは周りを見なさいってこと。Be more observant.もっと注意深く意識を向けて生きなさい。生きてるもの、草も木もすべてあなたのことを見ている。なのにあなたは全然感じていない。周りに生きている聖なるものに目を向けなさい。そう言われたのが刺さった」

それまでA氏は自分のすべてを仕事に投じていたといってもよかった。けれど、その霊媒師のことばを聞いて以来、何かが変わったのだと言った。根拠のないものも受け入れて生きるようになった。

もちろんグローバル企業の当時トップだった人間がそんなことを公に語ることはしない。取材当時は経営から離れていたとはいえ、グローバル企業の元経営者であることに変わりはなく、多くの有名企業の社外取締役も務めていたA氏にとっての「正しい文脈」には、一切関係のない話だった。

当然、僕は取材をまとめた原稿にも、そのくだりを書くつもりはなかった。A氏は書いていいとも書くなとも言わなかった。

それからも何度かA氏には会ったけれど、もうあの話に触れることもなかった。ただ、当時喧伝されていた「勝ち組企業」と呼ばれる企業を率いる人にも「ふしぎな断片」があるのだと思った。

それはとても個人的なもので、企業や世界を動かすような種類のものではない。けれど、僕の中にはいまでもA氏の「語られない断片」がずっとあるのを感じることができる。ただ、それだけのことだ。



※昔のnoteのリライト再放送です

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