万博の本当の味わいは50年後にやってくる
2025年大阪万博開催決定おめでとうございます。という話ではなくて。正直に素直にTo be honestに言えば、僕は大きな話に興味が持てないのだ。何に対しても。
規模感がどうにかなるような話。金額とか面積とか動員数だとか何でもいいのだけど総額5兆円のなんとかとか、東京ドーム50個分のとか、延べ何十万人動員とか。
そう言えば昔、GLAY EXPOってあったね。幕張とかで20万人ライブだっけ。当時もすごいなと思ったけど、逆にすごすぎて興味が持てなかった思い出がある。(決して揶揄してるわけじゃない)。
とにかく、大規模なもので盛り上がることができない。テンションが下がるのだ。
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逆に、どうでもいいぐらい小さなこと(きょう一日だけ山手線の電車が逆回転で走るよ)とか、Youは何しに? と聞かれそうなイベント(DJがプレイするハウスミュージックに合わせてマグロ解体職人が捌く音楽と食のイベント“マグロハウス”→ほんとにあった)とかはすごい興味あるんだけど。
万博に関しても賛成でも反対でもなく、やるならやればいいと思うし、へーそうなんやぐらいだ。万博メディアで流されるメッセージもいろいろ規模感が自分には合わなすぎて、どれもピンとこない。
こういうときの国威発揚的メッセージは概して威勢が良くて切羽詰まってる感がある。総力戦、起爆剤、オールジャパン、経済効果何兆円云々。
だいたい何でもそうだけど、実体がよくわからなくて派手に景気良く聞こえるものって、静かに考えてみたら「よくない局面」で出てくるものだったりもするからね。
まあ、だけどあるスケールの閾値を超えたお祭りには特有の「意味の無さ」が祭られるから、それはそれで嫌いじゃない。むしろ好きかもしれない。
今度の2025年大阪万博も、どんなに最新先端の未来像を魔法で見せても4、50年後とかに、本来の意味でのキッチュさが出てくるから、それからが本当の万博の味わいだと個人的には思ってる。
1970年の大阪万博がなんなら「いま行きたい!」と思わせてくれるように。