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正解を追い求め続けると壁に当たる話

「うまく当てはまらない人って苦手なんですよね」

ある若い編集者がボソッと言った。

取材が終わって、取材させてもらった人についての感想的なことを話していたときのことだ。取材自体はとくに何の問題もなかった。

原稿の構成をすり合わせて、取材内容も問題なくて無事に記事にすることができる。それだけでなく、取材させてもらった人からはおもしろい切り口の提案までしてもらえた。

そういう切り口からその職業の人を取り上げる記事はあまり読んだことがないので「おもしろいんじゃないですか」と僕も言ったのだ。

そこで出たのが冒頭の言葉だ。

たぶん、その職業の人ならこういうことがみんな知りたいだろうという安定の切り口があり、そこの「答え」をちゃんと取材で見せてくれる人は、何かにうまく当てはまる人ということになる。

でも、今回取材させてもらった人は安定の切り口とその答え以外に、どこにも当てはまらない切り口と意外な答えを見せてくれたのだ。

編集者の彼は、どこにも当てはまらない切り口と意外な答えを出してくれた取材相手がどうやら「苦手なタイプ」のようだった。

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なんだろうな。たまにこういう人がいる。批判じゃなくて、ふしぎなのだ。自分が想定する範囲内にものごとが収まると安心というか、仕事した感があるという感覚が。

わかる部分もあるよ。とにかく業務量が多くて、いちいち想定外のことに付き合って、そこを掘ってたら自分の負荷が増えるだけ。だったら、もうちゃんと正解は出てるのだから、そこをとにかくゴールさせてアウトプットにしたい。なんとなくそういう空気を感じるから。

何にもうまく当てはまらない人や物事を「おもしろいぜ」と感じるには、どこかにバッファがなければ難しいのもそのとおり。

だけど、忙しさの中でずっと「問題→正解」「インプット→アウトプット」な仕事ばかりし続けてたら、どこかで自分の中の何かが不具合を起す可能性が高くなる。

実際、僕自身が経験者だ。

その昔。ひたすら「これからの人材に求められる絶対条件」「これが今のビジネスパーソンの正解」みたいな雑誌の特集記事を毎週締め切りで8ページ、16ページと量産してたときは、とにかくちゃんと企画に当てはまる「答え」が欲しかったし、正解をきらびやかに見せてくれる取材相手は神だった。

だけどそれをやり続け、あるとき自分の存在に根底からの疑問符がついた。正解を書くだけなら自分じゃなくてもいいんじゃないのか。

もちろん、いろんな複雑な状況を整理して、問題の中から真の課題(イシュー)を発見し、正解の仮説を立て、それを検証し、正解を明らかにして原稿にするのはそれはそれで必要なことだし、それなりのスキルだっている。

だけど、そこまでなのだ。

本当の仕事のおもしろさ、奥深さは「正解の壁」を超えたところにある。そこに向かわせてくれるきっかけの一つが、冒頭のような「うまく当てはまらない人」なのだと思う。