男性が「生活」に興味ない件について
木工作家の知り合いが、悩んでるらしく。というのも、彼はわりと純粋に「つくること」が好きで、「売るため」にあれこれ発信したり自分をどう見せるとか考えるのは気が向かない。そういうスタイルでずっとやってきていた。
まあ、べつにそれがいいも悪いもないですよね。実際、彼のつくる木工製品は流行りとか映えとか、マーケティングと向き合うというより「樹(あえてこっちの字のほうがしっくりくる)」そのものと向き合う時間の中から生みだされるもの。
なんだろう。樹のこころがわかる人がつくってるから、つくられた木工製品がどれもちゃんと生きてる感じがするんですよ。
木が生きてるカトラリーや器、スツール、シェルフ……。だから、人が生活している空間にも自然に馴染む。個人的には、その感覚がすごく大事だと思っていて。
木工製品や陶芸なんかも特にそうだと思うのだけど、ある意味、いろんないのち(精神的な意味ではなくもっと広い意味で)が堆積したものに人間が新しいいのちを吹き込んだものじゃないですか。
なのに、なぜか製品になった途端にいのちというか「生きてる」感じがしないものもあって、それだと人が生きる、生活するときの感覚と感応しない気がするんです。
もちろん、あえて無機的な感覚で暮らしたい人もいるし、生活空間のモノにいのちが通わなくてもいい人だっているから、僕の感覚が絶対ではないです。
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で、彼はそういう木工製品をつくって展示会とかで対面で「この人から買いたい」「この人に使ってほしい」という時間とやりとりも経て販売しているので、有り体に言えば、そんなに効率よくは売れない。
で、冒頭の悩みになり、やっぱりさすがにもうこれからはSNSとか、ネットショップのプラットフォームとか使って売らないと駄目なのかなと。
これについては個人的には「彼のスタイル、大事にしてる対話」をスポイルせずにうまくSNSも使っていく方法はあると思うんです。
それより大きな問題があって。とくに、ここのところクラフト系の展示会でもお客さんの比率が、ほぼ女性になってることのほうに危機感を感じてるみたいなんですよね。
まあ、彼の木工製品は現代の民藝とも言えるし、生活の中で生きてくる作品がほとんど。だから余計に男性のお客さんが近づかない。
海外から来るお客さんは男女関係なく生活の中で生きる木工製品にすごく関心が高いのだけど、日本人男性は、ほんと「生活の中で生きるもの」という感覚が通じない。なにそれ、おいしいの? ぐらいに。
それだけ、日本人男性って仕事はしてるけど「生活」はしてないんだろうな。
春野菜のスープをこの木のボウルに入れたら、心も胃袋も喜ぶだろうなとか考えるのも、それで小さな元気をもらって仕事するのも、ぜんぶ「生活」。
自分がどんなものに囲まれて、どんなものから心を刺激されて、どう生きる、どう暮らす。
なんていうか、そこがうまく繋がってないまま仕事して生きてる。僕も東京にいたときはそうなってたので(べつに東京の人がみんなそうだという話じゃないです)。
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そう言えば、この前ぽこねんさんが書かれていた記事も、ああそうだなぁと。
「どこでどう暮らしたいとか、そういうイメージってない?」「わたしはこんなふうな暮らしがしてみたいってぼんやりと思ってるんだけど」。
そんな話を結婚後、なんどか夫に持ちかけてみたけれど、夫にはあまり、そういう「暮らしのイメージ」という感覚がないらしく、どうもピンと来ていないようだった。
それが悪いと言うつもりはなくて、タイプの違いなんだろうなあ、と思う。
男性が「生活」そのものにもっとコミットすれば、単純にそれだけで豊かさを味わえるし、そういう男性が増えれば「生活の中で生きる木工製品」だって、自然に興味がもっと湧いてくるんだろうけど。