展覧会でふられた気持ちになることについて
僕は絵が描けない。描けたらいいなと思うけれど、まあ空を飛べたらいいなと思ってるのと変わりなくて憧れだけ。広告の仕事をしていたとき、ロットリングで小さなカットを描いたりはしたけれど、それ単体で鑑賞に耐え得るものではない。
だけど絵が描けないのに「いい絵」に出会いたいと思うから変なものだ。
お前にいい絵の判断なんかできるのか審美眼があるのかと問われればスライディングですみませんでしたと言うしかないけど、いい絵と向き合うのは好きなのだ。
そんなわけで展覧会に行くのはいつもそれなりにドキドキする。アオハルかよ。じゃあ「いい絵」とはどんなのなのか。
技術的に上手い絵ではない。そもそも絵画技法の上手下手なんてわからないし。
何かしら探し求めまだ出会えないでいるもの、出会えたけれど別れなければならないもの、刹那さとの葛藤、つかんだ瞬間から消えそうな何か。そういう「あぁもう」みたいなのが目の前に現れると「いい絵だな」と思う。(個人の感想です)
できれば自分もその絵の時空の中に混ざりたい。なんなら一緒に生きて一緒に死にたい。でもできない。だからせめてじっと観ている。そんな体験をさせてくれる絵。
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僕がぼぉーーっとそんなふうに絵の前で佇んでると(雨の平日で目玉の企画展は休みなので人は少ない)、後ろから「だけど、あれよね」という声がガヤガヤとやって来る。
よくあんなの描けるわね。わたし描けない。ニワトリなんて動くのよ。じっとしてないじゃない。生き物は死ぬからね。それに賢いのよ。今朝も猫がうちに来て。飼ってるの?飼ってないわよ野良よ野良。こっちじいっと伺ってるの。シッって、やっても逃げないのよね。
おばちゃんグループだ。なんでか知らないけど世の中のおばちゃんたちは展覧会に来ても大体関係ない話をしている。
そして、おばちゃんたちは「わたし、この絵好きよ」と平気で絵の前でみんなに告白する。
またそこから関係ない話が始まるのだけど、そんなふうに告白すらできない僕は、少しだけ切なくふられた気分になる。そんな関係にすぐなれる絵とおばちゃんたちに。