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ブックオフよりメルカリで本を手放したい理由

いつからかブックオフを使わなくなった。東京にいたときは、まとめてブックオフをよくやってたんだけど。

仕事柄なのか本が「勝手に増える」のだ。
これは不思議としか言いようがない。もちろん自分で買ってるのもあるし、資料とか献本のもあって増えるのは当然なのだけど、自分の記憶を超えて増え続ける。なぜか同じ本が複数冊あったりもする。

ある程度は本をストックできるスペースを確保してるとはいえ、残念ながら無限空間ではないし、中には本当にこの先必要になることはないだろうなと思える本もある。

なので→ブックオフ行きだったのだけど、どうもそれだと「処分感」が半端ないのだ。

「え?」という値段(数十円とか)で引き取られるのも少なくない。倉庫で陽の目を見ないまま溶解処分されるよりいいのかもしれないけど。

一応念のために言っておくとブックオフを貶める意味はまったくない。僕にとってはという個人的な話をしている。

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本の書き手をしていて、自分が関わった本、そうでない本に関わらずやはり「処分感」はあまりいい気持ちではない。

そこで最近はメルカリ(主に妻担当)なのだけど、メルカリだと「処分感」がほとんどしないのだ。これはちょっと意外だった。

同じように自分には必要なくなった本を、他の誰かの手に渡るようにするわけだけどブックオフに引き取ってもらうのとメルカリでは、本を本としてちゃんと最後まで扱ってる感が違う気がする。

メルカリはたしかに自分で出品してやりとりして資材使って梱包して発送する手間はかかる。でも、本当に「この本、探してた!」「必要だったんです」というユーザーも結構いる。その人にちゃんと本が渡っていく橋渡しをして手放すのには「人感」がある。

ああ、この本がまた読まれるんだなと思いながらだから、一連の作業がそんなに嫌ではないのだ。

ものをやりとりするときに、ちゃんと人に渡ってる感じがあると疲れが少ない。

もしかしたら、いまの人たちが消費に踊らなくなったのは、誰から誰へなのか関係性がよくわからないもののやり取りに違和感や疲れを感じ始めたからかもしれない。

同時に、いろんなところで「なんとかPay」がペイペイ言って個人決済の世界が広がっている。誰から誰への人感があると、本来の疲れないもののやりとりが生まれる。

ブックオフからメルカリへの移行は(メルカリに限らずだけど)、リアル店と、ネット通販以外に「消費感の少ないもののやりとり」として生まれるべくして生まれてきたのかもしれない。