人は人生で一度は金町へ行く(前編)
その日、僕は葛飾区金町にいた。もう10年以上前の話だ。理由は自分でもよく分からないのだけれど、なんとなく思い立って電車を乗り継いでやって来たのだ。
ゲラ(印刷前の校正用に組版されて出力された原稿)のチェックをすることになっていて、正確に言えば、そのチェック場所を探し求めていた。
昔からそうなのだけれど、僕はゲラをチェックするときに、なぜか日常と離れた場所へ出かけたくなってしまう。なんだろう。仕事場でやればいいのだけれど、なんていうのか、これまでの作業の延長線上でゲラを見直しても見直した気にならないのだ。
もちろん僕が超売れっ子クラスのライターだったら話は別かもしれない。ゲラを読むために、いちいちどこかへ行っていたのではスケジュールが守れなくなってしまう。
まあでもいいのか悪いのか、そのときの僕はそれほど時間に追われる理由もないので、何本も電車を乗り換えて金町までやって来てしまうこともできたのだ。
意味がないといえば、あまりにも意味がない。「それ、やる必要ある?」と通りすがりの多部未華子さんに言われたら「ないです」と即答すると思う。物事の本質とは何の関係もないことをやりたくなってしまうのは、たぶん僕の欠陥のひとつなんだろうけど。
それでも人生には、そうした脇道に逸れるようなことをなぜか必要だと感じてしまうときがある。僕の場合は、そういうときにはそうすることにしている。
今のところ、それで致命的な状況に陥ったことはないし、仮にそうなったとしても、それはそれでなんとかして僕の人生の一部として取り入れようとするだろう。
***
そもそもダーツの矢を投げるようにして行き先を決めたわけでもないのに、なぜ金町という地名が僕の行動にヒットしたのか。
たぶん見えない脚本を読むことができるなら、そこには、すべからく僕が金町に降り立つまでの行動と周囲に現われ通り過ぎていく登場人物たちの存在がト書きと共に書き記されているだろう。
たとえば、それが仮に金町ではなく、下高井戸(べつにどこでもいいのだけど)であったとしても、おそらくそこには、その場にふさわしい役回りの登場人物たちと情景が見えざる手によって配置されるはずなのだ。
そう考えると、僕はその日、ゲラチェックをするためにわざわざ金町という場所を無数の選択肢のなかから選んだということになる。
いったい、なぜ? 何のために? 分からない。分からないけれども、そうやって考えてみると人生が何となく面白いように思えてくる。たとえ僕が、どう考え、どこに行こうとも、そこから何かしらの物語は始まるようになっているのだ。
果たして、何の脈絡もなく訪れた葛飾区金町という町で僕を待ち受けていた衝撃の出来事とは――。
(なんてわけは、ないのだけれど)
つづく……