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宮廷料理で舟を漕ぐ

会食しながら居眠りをした過去がある。どうでもいい懺悔録だ。

社会人としてはいちばんやってはいけないことの上位に入る失敗だ。もうずいぶん前なので時効だと思うけど。

その日は、ある外資系企業のトップと秘書の方、とある編集長と僕の4人でテーブルを囲み、編集長と僕はゲストとしての会食だった。

一緒につくらせてもらった本が重版になって周りからの評判も良かったとか何かのお礼として席を設けていただいたのだろう。もちろん、ありがたいことだし、そういう席に呼ばれるのは「良いことリスト」に入る。

のだけど、僕は絶賛原稿執筆ウィークで、その週も半分ぐらいは徹夜に近い感じだった。つまりまともに眠れてない。

そんなの10000000パーセント自分が悪いし、自分のスペックの問題でしかない。言い訳にもならない。

まあそんな感じで笑顔はつくりつつ、結構へろへろな感じで指定されたビルにある店に出向いた。

どういう店なのか全然聞いてなくて、聞いてたかもしれないけど情報は頭の中で取り出せないくらいの階層に埋もれてしまっていて、お店のドアを開けた瞬間に絶望した。

どうやら中世ヨーロッパのとある国の宮廷料理の店らしい。ドアを開けた向こうには執事(のように見えた)の方がいて、僕たちをにこやかに出迎えてくれる。

ふつうの状況ならいい感じに期待感が高まるのだろうけど、なにしろこっちはエクストリームな締め切りレースの途中なのだ。

このコンディションで優雅な宮廷料理のコースをいただく。つまり、それなりの所要時間になるということ。しかも、独特の静けさとバロック音楽特有の通奏低音が包み込んでくれる。

これはもう眠くなるフラグが乱立してるようなものだろう。世が世なら合戦待ったなしだ。

早く帰って寝たい。いや、原稿に戻りたい。眠気軍と会食軍は勝手に関ケ原で戦っててくれればいい。

前菜を前にさらに絶望は深くなる。なんというか、前菜が既に絵画なのだ。聞いたこともない魚の名前に聞いたこともないスパイスが纏って、聞いたこともない名前のチーズが芸術的に添えられている。


自分一人で食べるなら「絵画だ」で済むけど、会食の場である。しかも招待していただいてるのだ。何か気の利いたことを言うのはゲストの責務なのもわかってる。けど、眠すぎて言語中枢が作動しない。

前菜にせめて「しらすおろし」とか「たこわさ」が出てきてくれれば、多少はそれで眠気軍を陣内から後退させることもできただろうに。

スープ、魚料理、口直しのソルベ、そしてメインの肉料理と進むのだけど、ホストの気づかいで料理が変わるたびに違うワインが出てくる。宮廷料理はそういうものなのか、それともその場の趣向なのか。

どのワインもたぶん、それなりのものなんだろう。とりあえず「おいしいでごわす」しか出て来ない。

いやもう、ワインで酔ってるのか、眠気MAXで頭が回ってないのかもわからない。口の中が「眠い味」になる。眠い味ってあると思うんだけど、たぶん通じない。

案の定というべきか三河安城というべきか、ここがどこか怪しくなってくる。

三河安城って安祥城があったとこだっけ。違ったっけ。竹千代時代の徳川家康が人質として引き渡されたときの城? あれ、なんでそんなこと考えてるんだろう? 中世ヨーロッパはどこに行った?

……。

舟を漕ぐって不思議だ。ハッと気づいて漕ぐのをやめた瞬間に、まだ半分舟を漕いでる自分がいるのがわかる。ほんの数秒だったような気もするし数分だった気もする。

意識のこっち側と向こう側を舟で行き来してるのだ。たぶん、ホストの外資系企業のトップと秘書の方も僕が舟を漕いでたのはわかってたはずだ。

それでも顔には出さずにその場を過ごしていただいたことには申し訳なさと有り難さしかない。

とりあえず睡眠不足で宮廷料理を食べるのは避けたほうがいいし、いまも眠いからわさび味の歯磨きで歯でも磨きたい。

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