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ライターに「ちょっと読んでみて」と頼むのは、ありかなしか

「プロの眼から見てどう思うか聞かせてほしい」

ちょっと聞かせてもらえたらぐらいの感じで
ときどき、そんな依頼を受けます。

シチュエーションによっては、そういう依頼は「失礼」なのではないかという議論になりやすいんですね。どんな職業でもそうですが、プロの仕事に対して「ちょっとだけ」みたいな頼みごとはどうなのかと。

たとえばプロの歌い手さんに「ちょっとでいいから歌って」「ちょっと聞いて感想聞かせて」とか、プロのイラストレーターさんに「さくっと何か描いてみて」は、さすがに「ないな」って思います。

プロが簡単に何かの物事をやってしまえるからといって、それを簡単に頼んでいいということにはならない。


同じ仲間内の遊び的なシチュエーションなら別ですが、そうではない関係性や状況では、やはりプロに何かを頼むなら、それなりの理由や対価を用意するのが大人としての付き合い方なのかなと。

なんですが、何でも物事には例外がある。
その例外は、それをすることで自分もすごく学びがあったり、いい経験になるような場合ですね。

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「この文章どう思う?」

先日そう言われた相手はプロの農家さん。

農家のご主人は、風貌は大地の色をしたTHE農の人という感じですが、ものすごくストイック。できる限り、土や微生物といった自然の力を引き出して、お米や他の穀物、野菜が育つために10年単位で研究し続けています。

これまではJAの直売所などに卸して販売するのがメイン。

ここ最近ポケットマルシェなどの直販プラットフォームを使って、直接お客さんとやりとりすることが増えたため「自分がどんな想いを込めてお米や野菜をつくっているか」を1枚にまとめたそうだ。

その内容が、奥さん的には「長いし、ストレートすぎる」ので、読んだお客さんは受け止めきれないんじゃないかと。なのでプロの眼から見て、どう思うか教えてほしいと言われたわけです。

正直なところ、こういうのは「関係性」によるなと思います。

妻がその農家さんがやっている「農家がつくる餅菓子」のお店のデザイン周りのあれこれをお手伝いさせてもらっている関係で、僕もお世話になってるんですね。

日頃お世話になっている人のお願いなら喜んで、というのもあるし、仕事を抜きにしてもそんなふうに本気の人から頼ってもらえたらプロとしてうれしいとか。

今回も、読ませてもらって感想を伝えました。自分たちのつくったお米や野菜を買ってもらった人への「手紙」なら、そこに正解はないんです。想いがすべてだから。

それを読んで、読んだ人がどう感じるか、受け取るかはその人次第。

だけど、もしその「手紙」を使って、そこから先も何かコミュニケーションしたいのなら、お互いにhappyになれることを想定して、その「目的」にかなうように「手紙をデザインする」こともやってもいいかもしれません。

まずは、内容うんぬんよりもそこです。プロの視点からは「伝えたいこと」の中身も大事だけど、それを伝えてどうしたいのかがもっと大事。それによって中身も伝え方(広い意味でのデザインですね)も変わってきます。

それで仮に、この先のコミュニケーションも考えてデザインしたいからといって、プロの書き手がそれをまるっと引き受けて書くのがいいかというとそうとも限らない。

なぜなら、田んぼや畑で本当に手足を動かし、土と対話し、ときにはきつい目にもあった人でなければ言えない、出てこない言葉があるから。

コミュニケーションデザイン的には全然こなれていない文章でも、そのぎこちないところから滲み出る「本当の言葉」があるんです。

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そういう言葉や文章に出会うと「ああ、ライターには書けないな」と素直に思います。いや、取材して書けるんだけど「書こうとして書いた」ものと、自然に「滲み出た」ものは同じことを書いていても何かが違う。

その人の熱量の入った「第三者への手紙」を読ませてもらう機会は、ありそうでそうはないので今回すごく有り難かった。と同時に、それとはまた違うかたちでも何かお手伝いできればなと思ったので、ちょっとした提案もさせてもらいました。

ともかく、こんなふうに何かを本気でやっている人から「この文章どう思う?」と言ってもらえるのは、僕は悪いことじゃないなと思ってます。