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石のように宙に浮いた男

どこで何していても、ずっと薄ぼんやりと浮かんでいるイメージがある。

たとえば、わりと目立つ会社(僕が目立ってたわけじゃなく会社が)の制作部門で働いてたときもそうだった。

いろいろとイベント好きで(当時、本社の人事総務グループには一年中社内外でやる社員イベントばかりやってる担当もいた)、いま考えればよくそんな「うぇーい」な環境で生きてたなと思う。若さってすごいな。

お祭りは中で熱狂するより外から見てるほうが好きなのは、昔もいまも変わらない。

なのでイベントは最低限しか関わらなかったのだけど、同時に会社は研修好きで(それも業務領域だったから当然なんだけど)、社内や社外での合宿みたいなのも含めて、しょっちゅういろんな研修があった。

一応、研修は業務の一環なので最低限しか関わらないというわけにもいかない。

ただ救いだったのは、ありがちなよくわからない外部のおっさんの偉そうな話を一方的に拝聴するタイプのものではなかったこと。いろいろインタラクティブというかアクティブというか、自分たち主体でやるワークショップ形式のものが多かった。

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肝心の研修の中身なんて、ほとんど記憶から消滅しているけど、ある研修(チームで集まって自分たちのチームの事象を出し合い、そこからチームの構造的な問題を抽出し、問題解決のためにチームメンバーのスキルとか特性をどう使えるかみたいなのを出すやつ)でのことだけは覚えている。

チームメンバーそれぞれお互いの特性みたいなのを、できるだけ客観的に出していく。

その中で僕の特性として出てきたのが「本質的」「真面目だけどどこまでなのかわからない」「つかみどころがない」とかそういうのだった。素敵なコメントで涙が出る。

そのとおりすぎて、自分でも「だよね」と思わず心の声が出た。

一応、当時のチームのためにいうと、べつにメンバーが辛辣だったのでも、チームのパフォーマンスが悪かったのでもなく、制作部門の全社的なランキング(そういうのがあった)でもだいたい上位10ぐらいにはいつもいた。

その中で僕は、いろいろ迷惑をかけながらもちゃんと仕事もしてたし、チームが好きだった。ただ、どれだけそこでの仕事が好きで、チームメンバーとうまくやっていても、完全にコミットできない自分がどこかにいた。

斜め上を行きたかったとか、何かにイキリたかったわけでもない。自分ではコミットしてるつもりでも、微妙にどこかズレるのがわかるのだ。

たぶん、チームメンバーもうすうす感じてたと思う。存在感としてはある(自分で言うのも気持ち悪いけど)。決してダメなのではない。だけど、何か現実感が薄い。ここにいるのに、いない感じ。

ルネ・マグリットの有名すぎる「ピレネーの城」みたいだなと思う。そのどこでもなさが。そんな名作を持ちだしてきて怒られるかもしれないけど、イメージとしてたしかに自分の中にずっと薄ぼんやりと浮かんでいるのだ。

もし、街を歩いていて、背後に何かよくわからない岩石のようなものを浮かべてるのに気づかずにいる男を見かけたら、僕かもしれない。そのときは、ああそういうことなんだなと、そっと通り過ぎてほしい。