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鹿の神がやって来た

鹿の神?鹿の王? わからない。けどシカには違いない。

べつに珍しいことではない。里山だからシカぐらい出る。シカに限らず、イノシシ、キツネ、タヌキ、サル、ハクビシン、キジ、その他、名前を知らないもののけたちがみんな息をしている。

いまのところ、うちの近所ではクマは出ないけど、少し山に入っていけばいることはいる。

まあ、そういうところに入ってきて暮らしてるのは人間たちのほうなのだから、もののけたちにしてみれば「なんだよ、あいつら」と思ってるのかもしれない。あるいは何も思ってない。

基本的には、お互いすごく仲良くなりたいということでもなく(向こうはそんなの思わない)、まあお互い「いるんだな」ぐらいの関係がいいと思ってる。どっちも、ここで暮らしてるのには違いないのだ。

ただ、人間のほうが一方的に「困ったな」と思うことはたまにある。畑の作物だ。

人間が「おいしい」と思うものは、里山の生きものたちにとってもおいしい。そりゃそうだ。元を辿れば、原種の頃は「食べられなくもないけど」ぐらいだったものを人間が何千年もかけて品種改良して、いまのかたちや味になったのだから。

ちなみにトウモロコシの原種なんて、1万年前は万年筆ぐらいの大きさしかなくて、10粒ぐらいの緑色の硬い実が入ってたものだったし、スイカの原種も薄緑色の中身はスカスカで甘くなかった。

そんなものを「これ、なんとかすれば食べられるかも」と気が遠くなるほどの時間をかけて交配しておいしくしたのだ。大昔の人、すごいな。いまなら、そんな「何千年先に結果が出ますんで」なんてKPI誰も許してくれない。

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で、うちの小さな畑にも人間が改良したおいしいものを求めて飽くなき探究心で鹿さんがやってきた。お召し上がりになられたのは「大豆の新しい葉」。

鹿もちゃんとわかってて、大きくなった葉は食べないで、新しく伸びた柔らかい葉だけを、ほんとにきれいに切り取ったみたいに食べる。

実は、去年も同じように大豆畝が鹿レストランになったのだけど、被害は一度だけで、しかもいい具合に鹿が大豆の上部を食べたことで「摘芯」と同じ効果になったので、逆に脇芽が伸びて「まあ、いいか」と油断してたのだ。

あ、「摘芯」というのは大豆に限らず上に伸びる植物の先端を意図的に切ることで、脇からの枝の成長を促す方法です。

とはいえ、今回はもう大豆の花も咲こうとしてるタイミングなので、あまりうれしくはない。一応、いまさらだけど「入らないでね」という対策をしたのだけどどうなのか。

妻的には「鹿って善悪を超えてるよね」という存在らしく。どうして? と聞くと

「だって悪いことをしてるとも思ってないし、いいことしてるとも思ってなさそうだから」と。

なるほど。人間がそういうことをやったら明らかに悪意とか、どうしても食べるものがなくてでも罪悪感とか覚えるかもしれないけど、鹿の場合は清々しいくらいに何もない。

善悪を超えてくるもの。そういうものと一緒にある命。神目線だね。

ということは、うちの小さな畑にやって来たのはやっぱり「鹿の神」なんだろうか。