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名もないスイカは涙の味がした

夏の終わりのスイカはおいしい。スイカって農林水産省の分類上は果実的野菜らしく、その存在のオルタナティブさも好きだ。

野菜や果物には「走り」「旬」「名残(なごり)」がある。

いわゆる「初物」と呼ばれる出始めのものは「走り」。市場にたくさん出回ってお手頃に買える「盛り」になると「旬」。最後、旬が終わって市場に出回る数も減ってきたころのものが「名残」。

個人的には、旬よりも「走り」と「名残」が好きかもしれない。東京から信州に移って自分の畑で野菜や果物を育てるようになってからは余計にそう感じる(農家ではないです)。

採れはじめの走りの野菜は、ほんっっとみずみずしいし、おしまいの頃の名残はベタだけど名残惜しいぐらい味が凝縮されていておいしい。トマトなんて、本当は初秋のほうが甘くて濃くてぜんぜん違う味になるし。

野菜や果物も時期(ライフサイクル)で味や存在感というか、野菜や果物自体が放つ気配、エネルギーみたいなものが全然違うのだ。人間と同じだなと思う。なかなか伝わらりづらい話だけど。

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この前も、ご近所の知り合いから名残のスイカをいただいた。

その人のつくる野菜は銀座のとある隠れ家的ギャラリーでも密かに売られていて、舌の肥えた銀座のマダムにもファンが多い。まあ、おいしいしかたちがいい。

ちなみに、かたちの悪い野菜のほうが自然でおいしい説もあるけど、正直、そうとも言えない。以前は僕もそう思ってたけど。

かたちがいびつなもの、野菜の葉や肌色が良くないとか、やたら虫食いになったりするのは端的に言って、野菜が健康じゃないのだ。

土の栄養素が足りてなかったり、病原菌とか害虫にやられてたり、気温が高すぎる低すぎる、土の中に生育の邪魔になるものがあるとか生育中に余計なストレスを受けてると、やっぱり野菜の顔も曇るのだ。

ちゃんと育ってる野菜はちゃんとしたかたちをしてるし、見るからに健康そう。これって、僕も自分でつくってみるまでわからなかった。世の中には、ほんと知識だけではわからないことがいっぱいある。

何の話だっけ。スイカだ。

いただいたスイカの味はブランドがついたスイカに全然負けてない。

この辺りでもスイカをもっとつくってもいいのにと思うけど、産地としてブランドがないから売れない。そもそも卸しでも安く買い叩かれるから農家もつくる気が起こらない。

じゃあ、自分で個別に産直で売ればいいじゃんと考えたくなるけど(そのためのプラットフォームも今はあるし)、それはそれで実際は結構大変なのだ。この話も深くなるしそんなに興味持たれないのでしないけど。

どんな業界でも一度ブランドが出来れば、中身が……でもバイヤーはそっちを仕入れるし客がつく。この構造も今さらの話だ。

メディアの世界もなんだかんだこの構造は有り難がられてる。新しい系のメディアでもやっぱりブランドを持った発信者、生産者のほうが話は早いし、ユーザーも手に取ってくれる。

しかも「旬」のタイミングでそれなりのものを出してくれる発信者、生産者はやはり評価されるのだ。需要に応えてくれるのだから。もちろん、それはそれで必要だと思う。

まあだけど旬をあえて外して「走り」とか「名残」みたいなとこでやっていくのは自分でもおかしいよなと笑う。名残のスイカを食べながら、そんなことを思った。甘いはずのスイカが、少しだけしょっぱかった。