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カラスノエンドウを食べてみる

里山に暮らしてると、草が気になるんです。いろんな意味で。

べつにすごく植物マニアというわけでもない。だけど、何気に観察してると人間がいろいろなように草もいろいろなんだなというのが目に見えてわかる。

よく「雑草」とひとくくりで文字通り「雑に」見てしまうけど、雑草と言う名の草がないように、一つひとつの草に個性という言葉が陳腐に思えるぐらい違いというか存在感があるんです。

見てると「これ、食べれるんじゃないか?」と考えてしまう草も結構あって。何の本能なんだろうか。

その中のひとつ「カラスノエンドウ」という草。植物としての正式名は「ヤハズエンドウ」。ピンクの花と先端のくるんとしたつるが特徴ですね。


エンドウと呼ばれるぐらいなので、豆鞘(さや)は、いかにもおいしそう。だけどまあ草だし……とスルーしてたら、ある日、妻が「食べようよ」と。え、まじすか?

これを食べますか。見た目はたしかに「絹さや」っぽいし、食べたくなる感じだけど。でも、草だよ?

人間が食べるために改良していった野菜とは違って、彼らは基本的に自分の子孫を未来永劫残してくために、どちらかというと「食べられないため」の性質を保ってるはず。ということは、食べてもそんなに、ね。


一応、毒性はかなり低い(まったくないとも言い切れないのが草の強さ)ので生で食べない限りは大丈夫らしい。というか野菜のエンドウも生ではおいしくないですね。じゃあ、茹でますかね。

はい、おいしそう。マヨをかけたらちょっといいんじゃない? と妄想が膨らんだところで、茹でたままのものを何もつけずにいただいてみましょう。

???

あれ、味がない。筋を取ってあるので思ったより硬くはないけど、なんだろう。「絹さや」とか「スナップエンドウ」を茹でて食べたときのような、瑞々しさと口に広がる味わいがないです。無の心境。

なんていうか建物入り口はそれなりに雰囲気あるのに、入ってみたら閉店ガラガラの店だらけのモールに足を踏み入れたときみたいな感じ。


あ、これこのまま食べ続けても何もないやつだ。ということで一個だけいただいて終了。

ちなみに豆鞘の中の豆だけ食べると、それなりに柔らかくて「食べ物感」がありました。

結論的には「カラスノエンドウ」の豆鞘は食べられなくもないけど、見た目ほどはおいしくない(個人の感想です)。

とわかったのに、見かけると脳が勝手に食べもの認定しようとするのは何なのか。大昔の祖先が食べてた記憶でも残ってるのかも。