二日酔いフェチはあとの祭り

昨日は、あの #呑みながら書きましたの日 、別名「呑み書きフェチ」の日

だったのに、一切フェチな話をしなかったのが悔やまれる。

ふだん、なかなか開ける機会もないみんなのフェチシズムの扉がフルオープンされる日だったというのに。

どうでもいいけどフェチシズムと『君繋ファイブエム』って似てるよなっていつも思う。「電波塔」も名曲。

じゃあ、自分のフェチってなんだろう。あらためて考えるとよくわかんないんだよな。あるとは思うけど。

たぶん、本当のフェチって(もちろん人によるけど)ふだんは、そこまで意識してないと思うんだ。むしろ、自分では平常の中に組み込まれてるから、ことさらフェチだとも思わなくて。

何かがふとしたときに、それってフェチだよねとか、同じようなフェチシズムにあふれた人とか言葉とか、存在にふれたときに「いいよね、それわかるわ」ってなって、自分のフェチ(偏愛)もあらためて思い出されるぐらいの。

だから真顔でフェチってどうもうまく思い出せない。どれもかすってるぐらいのところで止まってるので、とても「ミニスカサンタへの憧れ」

レベルまで到達できない。だめだな自分。

いやこれ揶揄してるわけでは絶対になくて、すこーんとフルスイングしたフェチってすごいさわやかなんですよ。あきらとさんだって「ミニスカサンタへの憧れ」開陳の話なのにちっともいやらしさがない。

なんなら小学4年生の国語で「ごんぎつね」の代わりに読んで感想文書きたかった。

あえて言うなら、雰囲気ある人の「二日酔い」っていいかもしれない。

酔ってる姿じゃなく、二日酔いの姿。気怠くて、でもやることもあって、確実に覚醒へと向かってるんだけど、まだ酔いの名残りをどうしようもなく少しだけ漂わせてる。

あれかも。大人の街の夜明けから朝に移り変わっていく時間にも似てる。

もう何時間かしたら、酔ってたことなんて嘘みたいに酔いが消えるのが見える。その僅かな残像が好きなんだ。街も人も。