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イチローのプロ初打席を誰も知らない

プロの生き方としてイチローが好きだった。

もちろん、そんなのは誰もが知ることで、今さら僕ごときがnoteに書くべきことなんて微塵もないくらいのレジェンドだ。だけど、それでも何か話したくなってしまうのがイチローの凄さの一部なんだろうな。

職業や住む世界が違ってもプロの生き方として尊敬できる理由の一つは、彼が常に「自分の言葉」で語り続けてきた人だからだ。

僕はスポーツライターではないけれど、それでもたまにアスリートを取材させてもらって話を聞くことがある。

その人たちも、それぞれ凄いのだけど、外向きにはどこかで「あるべき正しい顔」を見せながら「正しい話」をする。有名になり、いろんなものを背負うようになればなるほどそうなる。まあ仕方ない。

だけどイチローだけは(と言っていいと思う)プロの世界で初めから今に至るまでずっと自分の顔で外と向き合い、自分の思考から生まれた自分の言葉を語り続けたのだ。

僕は、もしかしたらイチローの変態的で芸術的なプレーも好きだけど、それ以上にイチローワールドと言いたくなる彼の放つ言葉が好きだったのかもしれない。そんなアスリートちょっと他にいない。

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引退会見でもそうだった。プロとして自分を高めていくために(成功するためにとは言わないのがイチローだ)自分の言葉を持つことの大事さに触れていて、言葉を扱う世界の人間として勝手に嬉しかった。そもそも1時間23分も自分の言葉で話せる時点で宇宙レベルだけど。

そしてこれは僕の個人的な推測でしかないけれど、イチローワールドを形成した言葉たちは、彼が決して最初からスター選手ではなかったことが土壌になり生まれてきたんじゃないのか。

イチローがプロの世界に入ったとき、彼を「発見」できた人なんて熱心なファンを除けばほとんどいなかった。1軍のゲームに初出場したときも、今の大谷翔平選手や根尾昂選手みたいに大きな注目もされなかった。

1992年当時、イチローのプロ初打席がどんな結果だったか知ってる人はマニアだろう(セカンドゴロ)。それからの2年間、あの名将、仰木監督に発見されてレギュラーになるまで打率も2割、1割台だった。

そこから彼は「自分の言葉」もまるで彼の身体の一部であるかのように使いながら自分のスタイルをつくり続け、最後は世界中(といっても主に日本とアメリカだけどそれでも凄い)のファンが彼のプレー空間で一緒に過ごすためにボールパークとメディアの前に集まったのだ。

もちろん、現役最後がヒットやレーザビームで終わればさらに最高だったのかもしれない。あんなに「人間」として哀しく悔しそうなイチローを見たことがなかった。僕も一瞬はそんな気持ちになった。

だけど、だんだんあのかたちでもよかったのかも、いや凡退だからこそ逆にイチローが際立ったんじゃないかと思うようになった。自分でも不思議だけれど。

記録的には凡退。だけどそこに集まった熱量はこれまでのどんな大選手のそれより凄くて計測不能レベルだったと思う。

凡退でも変わらない熱量を生成できる。それがイチローだったとしか言えない。

ほんとにたまたまイチロー引退の日に彼の地元近くで最後のプレーを観ながら、僕はそんなことを思った。