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講演しながら「対話」する

先日、村の文化会館で講演会をしました。テーマは要約すると「五感と言葉」。

「生きていて出てくる言葉って人生をつくってますよね」
という話。うん、なんだか、こう書くとえらい立派な人の講演みたいな感じだ。どうしよう。

というか、君、ライターだよね? ライティングの勉強会とかライターが混ざるイベントのスピーカーならわかるけど、不特定多数の前でひとりで何を話すの?

そんな当たり前すぎる疑問が――。

まあ、そもそもは信濃毎日新聞という地方紙(といっても長野県内ではシェア1位)の地域面で取材してもらって、まあまあの大きさで載ったのがきっかけ。

え、新聞でしょ? と思う人もいるかもしれませんが、こっちでは新聞はオールドメディアじゃなく、いろんなかたちで影響力あるんですよ。この話もいつか書きたい。

で、記事を読んだ関係者に興味を持ってもらったらしく、毎年行われている村の女性団体が一堂に会するイベントで今年のゲスト講師として出てもらえないかと。

そう言っていただけるのはありがたいんだけど、ただのライターの話にふつう、そんな興味ないんじゃないのかなというのが最初は正直ありました。いや、思いますよね。

クリエイターのミートアップとか、文章に興味ある人のカルチャー講座とかだとライターの話も親和性あるけど、村の多種多様な(主に)女性の方に向けてなので。

講演で一つだけ意識したのは「講演なんだけど対話する」こと。

またちょっとなに言ってるかわからないかもしれないんですが、基本的に「講演」ってなんか偉そうじゃないですか。

自分が沼にはまってる事柄とか、すごく研究してる分野の人だったり、リスペクトしてる人の「講演」なら、ホイホイ話を聞きたくなるけど、今回の僕の立ち位置はそうじゃない。

あくまで恒例のイベントの中で、ちょっと違う空気というか世界の人の話も聞いてみましょうよというもの。能動的に僕の話を聞くために集まっていただくわけじゃない。なのに、一方的に独演会で知らんこと話されてもね。

なので、講演の冒頭でも「僕の話を聞くというより、僕が話すテーマを一緒に考える時間にしたいです」とお伝えしました。

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少人数ならリアルにトークセッションっぽく「対話」できますが(そういう仕事もたまにします)、大人数になるとさすがに無理。でも、意識としては「対話」感を忘れないように講演したわけです。

一方的に話進めるのではなくて、聴いてもらってる人にも「問い」のボールを渡したり、聴いてる人の反応に対して、空気を展開していったり。

もちろん完璧にできてたかというと、まだまだな部分もあります。でも、ふつうこういう場では空気を見て誰も手を上げないことの多い「質疑応答(名称が固いですが)」でも、なかなか考えさせられる質問をもらったり、最後は村のイベントらしく和む笑いのある質問で締めくくれたのでよかった。

講演しながら「対話」するところまでもっと本格的に行けたらというのは、これからの課題。

ちょうど、わざわざ平田さんがすごいタイムリーに書かれてて(有料日記の中身なのでここでは書かないですが)、平田さんも「説法感のある空気」がすごく嫌いらしく、でも1対nの大人数だとどうしてもそうなりがちと仰ってました。

相手からのいい反応(肯定という意味だけではなくて)に巡り会えないと説法に陥る。そのとおりだなと。

ただ、人と人が真剣に反応し合って「対話」するのは基本的には1on1じゃないと難しい。

対話って言うのは、言葉そのままで「お互いが対になって、そのときその人とじゃなければできない話しをする」こと。「その話が積み重なって、その場で、対話する前とはちょっと違った景色が見えるところにお互いがいる」。そんなふうになれればいいなと思う。

大人数の講演会でも、そんなふうにちゃんと「対話」ができればいいですよね。それってすごくエクストリーム講演なんだろうけど。

まあ、今回は「対話」を意識したところまでなのでプチエクストリーム講演です。