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元日の調べ物🪄大福茶🪄

1月1日と言えば。

やほー!お茶の魔法使い・ひじき茶々です。
私は現在東北在住です。が、東北にはない不思議で面白い習慣!を京都(関西)で見つけました。

1月1日と言えば。
皆さんは何を思い浮かべますか?
私だったら、お雑煮、おせち料理に、餅……初夢に、日の出なんかを思い起こします。

京都を中心とした関西には、元日に「大福茶」というお茶を飲む習慣があるそうです!びっくり。

え?だいふくちゃ?餅いれるの?

皆さんは、ご存知でしたか?
私は「大福茶」と書いていたので、だいふくちゃと呼んでいましたが、正しくは「おおふくちゃ・おおぶくちゃ」のようです。
読み方が違うと、餅は入らなそうです(笑)

「大きな福」で「大福茶」です

大きな福のお茶と書いて、大福茶。意味としては大体あっていて、「人々に幸福をもたらすお茶」という意味になります。
調べてみると、元々は「皇服茶」だったようで、意味合いとしては、「天皇が飲むお茶」だったものが、次第に意味合いが変わってきたようです。

さてさて、大福茶ってどんなもの?

ざっくり言うと、平安時代、疫病が流行していた頃に、空也上人が人々に飲ませたお茶に由来し、現在では12月頃からお茶屋さんや百貨店で並び始める、おめでたいお茶のことです。特徴としては、お茶に梅干しと結び昆布をいれて飲むもののようです。

大福茶の始まり

平安時代、疫病が流行っていた頃。京の都で、空也上人(くうやしょうにん)という僧侶が、観音像を掘り、人力車に乗せて、ほうぼうを歩い回った言い伝えがあります。

空也上人って誰!?

空也上人は「南無阿弥陀仏」と唱える念仏を最初に始めたとされる僧侶です。また、六波羅蜜寺にある「木造空也上人立像」でも知られています。

空也上人は、疫病で苦しむ人々にお茶を振る舞いました。それにより、多くの人が、病気から回復することが出来ました。

当時な天皇、村上天皇もこれにあやかり、元日になると、六波羅蜜寺のお茶を飲むようになったようです。
(この六波羅蜜寺は、今も現存で、元日には、皇服茶のお振る舞いがあるそうです。) 

皇服茶は「天皇が飲むお茶」として呼ばれていましたが、徐々に広がっていき、「大福茶」として、人々に幸福をもたらすお茶として京都を中心に広まっていきました。

大福茶は、特別なもの?

大福茶と名のつくお茶を用意しなきゃ行けない!?もう元日も終わっちゃうわ!!!なんて方も大丈夫です。

お茶は家にあるもので大丈夫なようです。
煎茶や玄米茶、ほうじ茶何でもいいそうです。意外と敷居が低い気がして嬉しかったです。お茶屋さんからも、様々なお茶で大福茶が売られていますからね。

お茶を用意して終わりではなく、梅干しと結び昆布を用意します。

梅干しは小梅でも、一般的な梅干しでもいいそうです。

結び昆布なんてないよ!なんて方もご安心を!お出汁用の乾燥昆布をキッチンペーパーで柔らかくして包んでおく。柔らかくしてから結ぶと、やりやすいみたいです!

湯のみやお茶を飲むマグカップなどに、梅干しと結び昆布を入れて、そこにお茶を注げば、大福茶の完成です。

今年1年の無病息災を願い、ゆっくりいただきましょう!

京都を中心と広まった習慣。

みなさんはご存知でしたか?私の住む東北では、馴染みがないので、面白さと平安時代から続く習慣に心が踊りました。

また、当時のお茶は、煎茶のようなものではなくて、団茶と呼ばれる塊になったお茶を削り煮出して飲むお茶でした。

さらに、驚くことに当時お茶は嗜好品ではなく「薬」のような立ち位置でした。だからこそ、疫病に立ち向かうための薬として、「お茶」が使われたのだと思います。

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私なりにまとめてみました!
大福茶、馴染みはないのですが、こんなふうに、お茶と繋がれる京都の方々を羨ましく感じました(🍵 ✨  

それでは(*^-^*)ノ~~マタネー







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