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「社会心理学講義 <閉ざされた社会>と<開かれた社会>」 小坂井敏晶

筑摩選書  筑摩書房

社会と心理


最近、夜はこないだ買った小坂井氏の「社会心理学講義」を少しずつ読んでいる。この本は社会心理学と言って一般的にイメージされるのと違って、社会学や社会哲学といってもいいくらい。昨日読んだところでは、社会が心理(個人)を形成し、またその逆も真。よってそのせめぎあいを捉えないと社会心理学とは言えない、とあった。今の社会心理学は個人というものを完成されたものとして見過ぎると。
この小坂井氏は「民族という虚構」「責任という虚構」の著者でもある人ー前者を書き終えた時に「自分が本当に惹かれたのは虚構の方だった」と気づいた、という。そういう様々な要因からなる変動に着目することの重要性。一方、とことんまで社会科学も理論化せよという指摘もあり。
(2014 05/14)

結果としての意志


「社会心理学講義」から。脳波研究によると、何かを行えという脳波が発生してから、実際に何かを行うことと、それをしようと考えたという意識形成が同時に起こる。ただ後者の方が若干速い為、意志が行動を起こしたという錯覚をしているのだということらしい。脳の中では様々なプロセスが絡み合いながら同時進行中で、意志というのもその絡み合いの一つの結果という。デカルトが中心に据えた自己もそういった結果の集積の束。
まあ、実感としてはある。意志が弱く認識されるかされない間に何かしてたという。
(2014 05/20)

隠蔽されたルール


「社会心理学講義」によると、責任とか自由というのは社会の成り立ちの過程で生まれた虚構で、それにより何らかのルール?が構成員から隠蔽されているとのこと。

 制度を正当化するために我々が持ち出す根拠と、制度が機能する本当の理由との間に齟齬があるのは矛盾でも何でもありません。それどころか、社会制度の真の姿が人間に隠蔽されなければ、社会は成立しない。 
(p116)
 人間は責任を負う必要があるから、その結果、自分を自由だと思い込むのだ。 
(p126)


こちらはフランス社会学者ポール・フォーコネの言葉。自由と責任はこの順番ではなく、責任から自由という流れだという。 
(2014 05/22)

文化と差別の定義


「社会心理学講義」第8講から。

 認知的に外に開かれた人間には、外部に拡大した自己を閉じるための装置が必要です。文化は、体外に創出された〈内部〉であり、したがって社会制度に人間が依存するのは当然です。
(p201)


文化に何かしらの「共同体」認識を感じるのはその為か。

 人種差別は異質性の問題ではない。その反対に同質性の問題です。差異という与件を原因とするのではなく、同質の場に力ずくで差異を捏造する運動のことなのです。
(p209)


人間と社会をホメオスタシスの体系として見る見方から出てきた文化と差別の定義。ナチスドイツのユダヤ人迫害でも、狙われるのはかなり同化してきたユダヤ系の人々だったらしい。日本の「在日」(という呼び方自体が変だけど)への見方も同じか。
(2014 05/28)

アッシュへの誤解と少数派意見


というわけで、「社会心理学講義」より。
線分の長さを答える実験で、明らかに違う答えをするサクラに被験者がつられてしまう…というアッシュ実験。ところがアッシュ自身はつられない人もいることを立証したかったらしい。そこに自律した人間像を見たかった。結果はつられない人も確かにいたけど、つられた人の方が多かった。
と9章を読んでいて、あれ、その前までは自律している個人なんて虚構だ、という論調だったのに…と思ったけど、それを次の展開でどうまとめるかが読みどころか。

というわけで、次の10章。他人の意見に人はどう影響されるのかというこういう実験・理論をそのまま影響理論というそうなのだが、多数派や権威の影響はすぐ出る(先ほどのアッシュの例でいえばつられる事例)が、表面的な影響、少数派の影響は時間をおいて熟成されじわじわと…独創的だと思った論文のアイデアが実は弟子のもので、しかも自分は否定的な判定をしていたという例がわかりやすいかな…こういう少数派を権力がどう対処しがちなのかというと…
とにかく、この辺りにさっきのどうまとめるかの鍵があるみたい。
(2014 05/30)

意味と一貫性


「社会心理学講義」から、今日読んだところのポイント2つ。

1.形より意味が先に知覚される。
ある単語をものすごく短い時間(見たという意識もないくらい)提示したあと、次に24個の単語を見せて「この中のどれがさっき見た単語ですか」と問う(実際には同じ単語はない)と、単語の綴りが似ている単語より意味が似ている単語の方を選ぶという。最初の単語の提示時間をちょっと延ばして単語を見たという意識ができるようになると、逆に綴りが似ている単語を選ぶ。一見逆のような感じだが…この「意味」というものを突き詰めていくと、人間の認知の根本が見えてくるような…

2.一貫性。前に書いた少数派影響理論。
少数派であればいいわけではなく、その少数派が一貫してその意見を言うことに意義がある。その意味でアッシュ実験を逆読みして、これは多数派ではなく、少数派が影響している例なのだ、という。名前を挙げていなかったが、この影響理論の提唱者モスコヴィッシはこのように社会変革、開かれた社会を考えているよう。
(2014 05/31)

疎外と外化、時間と歴史


またもや1日駆け込み式に(笑)「社会心理学講義」を読んでしまった。最後の3章は流し過ぎたかな。

まずは昨日のとこだと思うが、デュルケムの社会分業論って、彼の犯罪論と同じアプローチだと思われる。しかもその分業の原因が少数派が生き残る戦術にあったとは…

そして今日のとこ。本質的な物自体、善悪が存在しないとするならば、人間社会は自身の規律をどこに求めるのか。中世にはそれは神という外部であった(古代には神の声が聞こえた?)。
近代になり、社会契約論で人間社会内部に源泉を求めたが、それによって作られたシステムは外部に置かれた。マルクスはそれを疎外として指摘したが、それはへーゲルの外化と同じ近代社会の側面。しかも疎外として気づくことこそ(前にも挙げた社会システムの真の成立要因は隠蔽されてなければならないという)仕組みに綻びが見えてきている予兆なのだ、とウェーバーは言う。

パニックの例や白玉・黒玉の例がわかりやすいけど、小さな揺らぎの何らかの原因で歴史は動く。動きには必然性はないが、後で見ると何か裏で規則があったかのように見える。時間を必要とするのはこうしたわけである。開かれた社会は歴史は可能だが、定まった正義は存在しない…とこうして、論は終わる。

その他、フランス他の裁判制における人民(一般市民)概念(刑が重い犯罪ほど裁判官ではなく人民が裁く、2000年までは再審も認められていなかった)や、著者小坂井氏のフランス留学中のいろいろな葛藤なども印象深かった。
(2014 06/01)

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